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2018年H30卯月4月

 師走;僧侶(し)も檀家回りで走る月という語源はあやしいらしい。
 歳極月(トシハツルツキ)が最適か?

 毎年、毎月、毎日、毎時、毎分、毎秒。
 そんな単位に束縛されることなく、太古から脈々と時は過ぎ、永遠に続いていく。
 年月日なんて意識しなかったころの原始の社会なら、大晦日も正月元旦もただいつものように日が暮れて、日が昇ったにすぎないかっただろう。
 では、原始社会の彼らはどんなときに歳月の節目を感じたのか。
 おそらく、四季折々の収穫、なすすべもない天災との遭遇、かけがいのない身近な者の死によって「来し方」も思いを馳せたのではないだろうか。
 それはあくまでも実感を伴う節目だった。


 今は、個々の都合にまったくおかまいなしに、刻み込まれる絶対的数字の世界に支配されたライフスタイルになってしまって・・・

 一年が過ぎてわかるのは、取りあえず今生きているということだけだ。
 そう、だから時刻に翻弄されず、今この時に乾杯したい。
 悠久の宇宙を流れる時のなか、たまたま、つかの間、生かされている。
 この瞬間を、奇跡のように愛おしく感じる。
 TVを流れる年末番組など横目に、この一年ではなく、今日一日を噛みしめなくちゃもったいない。
 
 時は過ぎ、人は老いる。
 時は止められず、過去には戻れない。
 リセットも出来ないからこそ、今を見つめたい。
 命に乾杯。
 人生は一度きり、自分にとっての大切な節目には、たっぷり酔う。




                  2018年新そば