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目次 english 籔半全メニュー あばうと籔半 蕎麦あらかると 蕎麦ヒストリー 街的蕎麦屋親爺

蔵戸前

小樽・蕎麦屋・薮半でございます、いらっしゃいっ!!

蕎麦屋親爺

若い男女が御来店し、差し向かいで「蕎麦屋で一杯」をやりはじめ、
ホールスタッフは、すっかりあてられて頬を染め、
所謂「蕎麦屋酒」は粋すぎて気後れ気味の中高年のお客様が、
蕎麦屋で一杯を楽しんでいる若いお客様を横目に見て、
「あんな若者でもやっっているのか、それなら」
と、安心してご自分も楽しまれ、
蕎麦のグルメ本を持参で蕎麦屋の楽しみ方などを
聞いてこられるお客様などあろうものなら、
嬉しくなって厨房で仕掛けている仕事などブン投げ、
ふと気がつくとお客様の席にどっかり坐りこみ、
「蕎麦ナンゾ、気取って喰うもんじゃネェヤァ」、
「喰い方ナンゾ、別にいいんディ」、
と突然小樽弁江戸っ子言葉になってしまう自分が気恥ずかしく、
けれども、 どうせ「蕎麦をたぐる」のであれば、
ひとつ粋に喰ってもらうのが一番お客様にもおいしいと思いこみ、
そういうお客様との会話集、題して、
「素敵な蕎麦ッ喰い・ボーイ&ガールになる方法」てな、
小樽・蕎麦屋・籔半版FAQでぇ。

まず、蕎麦屋に入る前に・・・

蕎麦屋親爺  まず、「風呂で体を清め、服装は着流しに角帯、足には雪駄が蕎麦喰いの作法」なんてことは、・・・全くナイ!
 更に、昔のレストランのように、「ブレザー&ネクタイ着用」なんてこともなければ、更に更に、最近のこジャレタ蕎麦屋でみかける、「子連れは駄目」なんてぇことも、・・・ない。

 ただ、満席状態の昼時に「蕎麦屋で一杯」ナンゾを「通」ぶってやろうナンテ、これほど「野暮」はないネェ。
 昼間っから「蕎麦屋酒」をやれる余裕のある方は、一生懸命働く人達の昼食がわりの蕎麦を邪魔しちゃなんネェ。
 板場も、働くお客さんのメニューを一刻も早く出したいし、午後の勤務開始時間を気にしている、勤めのあるお客さんも、注文したメニューまだかって苛ついていらっしゃる。
 そんな時に、酒肴や酒を横で注文されちゃあ、一寸ね。
 ホールスタッフに、板場の混み具合をこっそり聞いてから、注文していただければね。
 お客様同士も、互いに「気づかい」あう、それが「粋の第一歩」・・てぇもんよ。

 粋な「蕎麦っ喰い」は、2時か3時の「小腹のすいた刻」に、・・・日本語っていいネェ、一人二人で来られ、あくまでも「昼酒」を楽しみに、来られる。
「間違っても蕎麦を昼飯がわりにしちゃいけねぇ、趣味蕎麦だ。」
 ・・・なぁんて、東京の有名な蕎麦屋の主人はいうがネ、そこまで気取る気持ちもないし、気取れる店でもないしね、弊店は・・・。

蕎麦屋に到着、入るときは?

蕎麦屋親爺・・・蕎麦屋だけじゃネェが、飲食店の暖簾(ノレン)は、手の甲で分けて入るのが、格好いい。

 そのまんま頭でくぐって入るのは、「野暮天」で、格好悪い。

籔半暖簾

 何故かてぇと、整髪料なんぞが暖簾に移るは、女性のヘアピンやなんやらが暖簾に引っかかったりするし、それが自分の頭に付着するわけでぇ。
 胸ポケットのブランドのボールペンなんぞも引っかかって、暖簾にわざわざ差す人もいないではないしね(笑)。

 雨の日に、濡れた傘で暖簾わけるんなんざぁ、もう最悪。
 暖簾前で回れ右して、背中から体を入れ、で、傘を閉じれば自分も濡れず、暖簾も濡らさず、後のお客様も濡れた暖簾をくぐるこないワケでぇ

蕎麦屋に入ったら、どこに坐ったらいいの?

蕎麦屋親爺  蕎麦屋の方からするテェと、これが一番困る。
 ナニが困るかテェと、どの蕎麦屋でも「お馴染みさん」の席ってのがあり、他の席が空いていても、いつもの席が空くまで、待っておられるわけ。

籔半蔵戸前囲炉裏席

 まあ、蕎麦屋の方からすると「お馴染みさん」と「新規のお客様」を差別するわけじゃネェが、新規で来られた場合、まずは隅の席に坐って頂いた方が、お馴染みさんと新規さんのお客様同士がにらみ合いっこする、ナンテ場面にはならんわけで、大変助かりますなぁ。

そうでなくても昨今は、喫煙と嫌煙が隣同士に座ったものならもう、火花散るわけでぇ、とうとう分煙するってぇことに相成っておりますんでねぇ。

 ただね、「たしなみ」って言葉最近使われなくなってねぇ。
 駅ソバの立ち食いであろうと、名店の絶品であろうと、きちんと味わうってヤツが、「たしなみ」だぁね。
 それこそが極楽で、同時に蕎麦屋の店内の雰囲気をうるおす空気になって、それが巡り巡っていい店となり、お客様に還ってくるっ、てわけ。
 蕎麦の香りじゃなく、「薫り」は繊細で、蕎麦屋ではきつく匂う話題は避けてほしいわな。
 生臭い色恋の修羅話、胡散臭い商い話や口論は、「禁煙席」より徹底して廃したいってわけでぇ。

さぁ、いよいよ、いざ注文?

蕎麦屋親爺  よく、小樽の蕎麦屋の長老が言ってたが、・・・
「ナニが見ったくないって、蕎麦屋に来てドレを注文しようか、グダグダ決めかねてんのが、一番野暮で、見苦しいっテンだ」
 と。 又、

「昔の『蕎麦っ喰い』は、雪駄突っかけたら鼻緒に指がはいるか入らない内に蕎麦屋に飛び込んで、『もり』にしようってんで、蕎麦屋に入ったらすぐ注文するのが、約束だァ」

 なあんてネ。(^^)
 でも、それは江戸っ子気質を誇張した話で、ナニもそんなにせっつかなくてもいいんですわ。
 で、若い茶髪のピアスしたようなお客様が、
「熱燗に板わさ、あとで『せいろ』ネ」
 なーんてやられると、オォ最近の若いモンも仲々ヤルじゃねぇかと調理場で一人嬉しくなったりして。

 よく、「『せいろ』と注文するのが『通』なのか?」ナンテ、聞かれるが、通の方は「せいろ」ばかりかてぇと、そうじゃない。
 昔から蕎麦屋の長老は『かけそばのお客様は大事にしな』とよく言ったくらいだから、通だって『かけそば』も食べられる。
 ようは、『せいろ』に変にこだわる必要なんかネェんですよ。
 お品書きから好きなメニュー注文すりゃ、いいんでぇ。
 そもそも、お客さんが遠慮するこたぁネェ!

オーダーした蕎麦メニューがきて、いよいよ蕎麦の食べ方は?

蕎麦屋親爺  蕎麦が目の前に届けられて、すぐ、割箸で蕎麦をたぐり「蕎麦つゆ」つけててぇヤツは、どうもネェ。

お馴染みさんは、まず「蕎麦つゆ」を含むように一口呑む方が多く、「蕎麦つゆ」を舌で転がして、で

『今日は俺の体調が悪いのか、蕎麦屋のオメェが根性入れてダシ取んなかったのか、どっちだぁ?』
『フン! 昨晩飲み過ぎちゃイネェかい?』
『う、うぅんんん、もっともだぁ』

 と、「蕎麦つゆ」の味加減を御自分の体調のバロメーターにしているお客様もいらしゃるくらいでネェ。
 出来れば、まずは、蕎麦屋の「蕎麦ツユ」を味わって欲しいネェ。 
 冷たい「せいろ」など、水を切るためにしばらく置いておかれるお客様もいらっしゃるんで。
 そんときは、軽くほぐしておかないと、水気が抜け麺がダンゴ状になっちゃう。
 そうなったら、割箸を日本酒に浸し、パラパラと麺にかけてやるとほぐれ、おいしく食べられるってぇわけ。
 でもねぇ、コレを日本酒でやられるにはかまわねが、お冷やの水でやられた日にゃ、もう折角苦労してつくった「蕎麦ツユ」をわざわざ水で薄めっちゃう、蕎麦屋からすると嬉しかないネェ。
 ところが巷には、最初からプラスチックの「霧吹き」に酒を入れて、座卓に置いてある同業もあるが、ありゃあアンマシネェ。
 まあ同業のことアンマシ言うものナンダが、第一、最初から水も切れてない蕎麦に霧吹きで酒かけさせちゃうナンテ、そんなに自分とこの「蕎麦つゆ」に自信ねぇのか、ってネ。

 やっぱり、蕎麦の水気がとれ過ぎたときにこそ、自分で注文したお酒を「割箸」でチョチョーンと振りかけるのが、粋でキマッテルネェ。

いつも迷うのは、猪口の持ち方?

蕎麦屋親爺  蕎麦屋としては、小指を上げ気味にして猪口持たれても、・・・別にかまや〜しネェし、云々いわねぇわな。

 が、猪口(チョク)を持つとき、蕎麦「通」は、「小指」じゃなく「人差し指」をあげ気味に、持つ。
 で、蕎麦が長いときにゃぁ、この上げた人差し指と猪口の器の縁を使って、ハサミ代わりにして・・・切っちゃうわけ。

 ただ、アンマシ猪口を持ち上げねぇ方が、つまり、手で猪口を持ったままテーブルから高く持ち上げない方が格好イイ。
 逆に、猪口に手も添えネェで、テーブルにおいたまま、口のほうを近づけるのは、昔、犬猫喰いって、一番見苦しい食べ方って言われたモンだ。
 キレイな女性客がそれをやっちゃ最悪だぁネェ。

 でね、イイ事教えたろうかい?
 「もり」や「ざる」は「蒸籠(せいろ)」にのってくるが、割箸で蒸籠に盛った蕎麦を取るとき、蒸籠の真ん中から皆さん取られる。
 が、蒸籠の端の方から取ると蕎麦がひっつかないいで、丁度食べやすい長さで手繰れる。
 コレ、是非試してみたらイイ。
 今までなんで教えてくれなかったテェくらい、気持ちよく蕎麦を取れる。

何故「蕎麦つゆ」は、徳利に入れてくるのか?

蕎麦屋親爺  いい質問だぁ。
 少し話は逸れるが、付き合ってもらわねぇと。

 それには、何で、「もり」や「せいろ」、また「ざる」なんてメニュー名になってしまったか、というところまで、付き合ってもらわにゃならんのだわ。

 もともと「もりそば」の【もり】とは、「皿盛り」から来たんでぇ。 
 江戸時代、「そば切り」という名称で登場した初期の頃は、猪口などなく、皿に盛った蕎麦に「蕎麦つゆ」をかけて食した。
 で、皿盛りに蕎麦つゆをかけたから持ち上げれば蕎麦つゆはこぼれる、で、テーブルなどない時代、皆「コアガリ」で座卓の上で前屈みになって食べる、若い娘さんなどそんな格好しようもんなら、着物に包まれたお尻を他の客にどうぞ鑑賞して下さいってなもんで、蕎麦好きでも女性は蕎麦屋に行けなかった。
 ・・・どんどん横道に(^^)
 次に蕎麦の「水切れ」をよくすんのに、竹ザルに盛るスタイルが登場する。
 竹ザルの蕎麦に蕎麦つゆはかけられねぇから、「蕎麦つゆ専用容器」=蕎麦猪口が登場するってぇわけよ。 今のように海苔がかかった「ざるせいろ」になるんは、明治時代にはいってからなんでぇ
 ついでだから、なんで「せいろ」てぇいうかというと、蕎麦屋の初期はお菓子屋さんが片手間につくってた、 そばボウロ、そば饅頭、そばようかんなんぞはそこから来ている。
 で、まんじゅうを蒸す蒸籠で「そば切り」を蒸し、「熱盛り」でお客様にだしたのから、冷たい蕎麦も蒸籠で出したことから、「せいろ」という名前になったてぇわけでぇ。
 要するに、蕎麦を提供する器の違いから、そばのメニューの名称が由来してる。
 と、話をもどすか。
 徳利で「蕎麦つゆ」を提供するようになったのは、北海道では昭和四十年代後半からで、それまでは、猪口にじかに「蕎麦つゆ」をあらかじめ入れて、せいろと一緒にお客様に出されていた。
 が、これだと蕎麦(麺)についている水分で「蕎麦つゆ」が薄まり、「蕎麦つゆ」の濃度が変わってしまう。
 この蕎麦つゆが「薄まる」のをさけるためナンデ。
 てぇことは、「蕎麦つゆ」は、最初、猪口の四分の一くらい入れ、蕎麦を食べ、で「蕎麦つゆ」が薄まったなぁ、って感じたら、少しづつ足していくといい、そのため蕎麦つゆは徳利で出す。

 最近、全く色気のない「麺ロボット」という蕎麦粉とツナギ粉と水を入れてスイッチオンで麺状のものが出てくるマシンが販売され、それを導入して開業する蕎麦屋が増えてるン。
 札幌で見かけたが「○トンの圧力で打った更科蕎麦!」なんて看板だしている蕎麦屋があった。
 だが、そいう蕎麦・麺は「「蕎麦つゆ」」との絡みが悪く、と言うより機械で散々プレスされた分、蕎麦が「蕎麦つゆ」をはじき、「蕎麦つゆ」の濃度はいくら食べても薄まらない。
 でも、手練り・手打ちの蕎麦・麺は「蕎麦つゆ」の絡みがいいから、猪口に注いだ蕎麦つゆが次第に少なくなる、で、徳利から足す、てぇわけでもある。

蕎麦に「蕎麦つゆ」はちょっとだけしか浸けちゃいけない?

蕎麦屋親爺  ンン、きたな。
 ソンナことないんデェ。
 蕎麦つゆの濃さはそれぞれ蕎麦屋でまちまちなわけで、薄味の蕎麦つゆの店では、たっぷり浸けたって筋は通るわな。
 とにかく、割箸で目一杯蕎麦をすくい、猪口にあふれるくらい蕎麦をいれる、あれでは蕎麦はうまくネェよ。
 どっぷり「そばつゆ」に浸しゃア、それは「ショ辛い!」てことにな。
 麺の味や香りも全くわかんねェでしょ。
 それで、挙げ句の果て、
「アンタんとこのそばつゆはショ辛い!」
 なんてクレームつられた日にゃぁ、 もう。

せいぜい、四ー五本くらいの蕎麦を割箸でたぐり、蕎麦つゆにそばの4分の一くらい浸し食べてもらうと、辛口のそばつゆが口中で麺と絡み、美味いんで。
 ましてや、連れの相方と話をしながら、猪口に蕎麦を目一杯突っ込み、「そばつゆ」の中でかき回したり、ひっくり回したりじゃ、男女の夜の世界でもあるまいし、 おぉっとフロイトの世界だわ!
 ま、兎に角ショ辛くて蕎麦の香りや喉越しもあったもんじゃネェ。
 で、そういうのに限って、せいろのスダレに短くなった蕎麦残してる、箸の持ち方が悪いんデ、スダレに直角に箸を立てればどんなに短くなった蕎麦も取れる。
 蕎麦・麺を中心に考えるからいけねぇ、
「蕎麦を旨く食べるために、
 少ししか『そばつゆ』をつけないのではなく、
 逆に『そばつゆ』をおいしく味わうために、
 蕎麦を少ししかつけない。」
 ってね。
 かき回したり、ひっくり回したりしている子供さんには翔んでって、「こう喰うんだッ!」てやれる。
 で、大人だとそういうのも野暮だしねェ。

上手に食べられる長さに、とれない?

蕎麦屋親爺

 昔は「たった八寸に命をかける」というのが、蕎麦屋の代名詞みたいに言われたクライで、蕎麦の一番食べやすい寸法が、だいたい「八寸=二四センチ前後」くらいだったわけ。
 手打ち蕎麦を趣味にされるお客様はおわかりだろうが、そば切り包丁で切る際伸したソバをたたみ重ねるが、それが丁度その長さになるわけ。

 とにかく、上手に蕎麦を手繰れな最大の竜は、目一杯、割箸で蕎麦をつかむから。
 3〜4本前後を持ち上げると、ちょうど手繰り塩梅のいい加減になる。
 前にも言ったが、「もり」や「ざる」は「蒸籠(せいろ)」にのってくるが、割箸で蒸籠に盛った蕎麦の真ん中から皆さんとられる。
 が、蒸籠の端の方から取ると、蕎麦がひっつかないいで、丁度食べやすい長さで手繰れる。
 お試しあれ。

 調理場が見える蕎麦屋で板場をよくみりゃ、蒸籠を片手にもち一生懸命猫の手のように指を丸め、蒸籠のスダレの上の蕎麦を指でほぐすように盛りつけているシーンが、みられるかもしれない。
 「そばを立てる」って作業で、お客さんが箸でさっとそばを取りやすく盛りつけているわけ。これをキチンとやるのが「せいろ」の板場の最後の工程で、これをなおざりにすると板長から、
「蕎麦も、まともに立てられんのかぁ!」
 って、しこたま怒鳴られる。
 入りたての若い衆は、「そばをどう立てるんだ」って、怪訝な顔をする。

そば職人の仕事も、結構こまいんでぇ。

蕎麦は「喉」で食えって?

蕎麦屋親爺  ホォォ、そんな言葉知っておられる、そりゃ立派だわ。
 それが「粋だ」ナンテ言われるが、何でもそうだが、無理するこたネェ。

 要は、蕎麦好きは昔っから、「喉越し」ってぇ感覚を大事にしたわけ。
 で、いい蕎麦は「角がたっていて」それを味わうのが舌じゃなく、喉だってネ。

 手打ち蕎麦やプロの蕎麦屋の、茹がいたあとの蕎麦の断面は、真四角ではなく鼓型になっていて、それが「角が立つ」という喉越し感を醸し出す。
 一方、製麺屋さんの蕎麦はツナギ粉が多いため、時間をかけて茹がくから、蕎麦の断面をみると角が煮込まれ取れて、断面は丸くなり、だから喉越しがズルズルしてよくない。

 まあ、「蕎麦は縦に食え」テェ言葉もあるんだが、「喉で喰う」からせいぜい3〜4本ていうわけ。
 目一杯割箸で蕎麦を猪口にいれちゃあ、誰だって噛まにゃ喰えねぇわけで、3〜4本を噛まないで一気に喉の奥んにほおりこんじゃう、香りなんぞを喉の奥で感じる、ナンテてね。

 が、何度も言うが、それをしなきゃナンネェて事はない。
 最初から3〜4本はチョット無理かもしんネェっから、1〜2本でもって喉越しよくヤリャいい。
 が、それで咽せちゃ、最悪、野暮の骨頂てぇわけ。
 少しづつ、1〜2本の蕎麦でこっそり練習するこったね。
 そのうち、馴れてきて「喉で喰う」ってぇ感覚がわかってくるって。

 蕎麦屋じゃ「噛む」ってぇのがいけネェっていうんで、落語なんかじゃ蕎麦はズズズッて食べる、まあ「蕎麦と煎餅は内緒でくえねぇ」て昔からいうからネェ。

 TVで落語家の故柳家小さん師匠がそばを食べるシーンがあり、あっという間にそばがみるみる内に喉から体に滑り込む演技にほれぼれしたものだった。
 で、アナウンサーが「アノ食べ方が、やはり一番美味しいですか?」と訪ねると、
「そりゃあ、あんた、本当は噛んだほうがうめぇですよ。」

 なんでも、そばは啜り込めという話は、スタイルを重視する江戸ッ子の気質が、時代を経る毎に必要以上に強調された結果なんで。
 でも、蕎麦は最初からアルファ化ていう奴になってっから、噛まなくたって消化悪かぁないんだよ。

 薬味には、全部一度に蕎麦つゆに入れていいのか?

蕎麦屋親爺  まあ、そりゃ自由だがね。
 薬味を全部一度にいれちゃ、何がなんだか、わからない。
 最初ナニもいれないで、蕎麦をそばつゆに浸け手繰り、次は葱薬味をそばつゆに入れそのツユで蕎麦を手繰り、で、そん次はワサビで、って、色々楽しめばいいだけですな。

籔半・薬味

「一粒で2度おいしい」
 ってね、グリコのキャラメルじゃネェが、3〜4本づつ喉ごしを感じながら、それぞれの薬味で1枚のせいろをいろいろな薬味で楽しむ、わけ。
 そうすりゃ、1枚の「せいろ蕎麦」で充分に腹はくちくなる。
 こういう蕎麦の食べ方をすると、大もりなど注文されなくて腹いっぱいになる。
 が、皆さんこんな蕎麦の食べ方されちゃ、蕎麦屋が泣く(^^)
 まあ、若い方の昼食がわりじゃ、足りないかもしれネェが、小腹のすいた時なんざぁ、それで充分になるわけ。

 ただ、山葵(わさび)をソバツユに溶いてしまうか、どうか、って良く聞かれる。 大体普通のお客さんは、わさびはそばつゆに入れて溶く。
 中にはそばの上にわさびを少し載せ、箸で一緒にそばつゆに運んで食べる人もいる、が、やり方によっちゃあ、かえってキザに見えてしまう。
 しかし、これには一理ある。
 わさびは酸化するとすぐ辛さがなくなってしまう。そばつゆに入れてかき混ぜるとまたたく間に辛さが消えていく。だから、最初からいっぺんにわさびを蕎麦つゆの中にいれないで、少しづつ何度も入れて食べるようにすれば、最後までわさびが利いて美味しい。
 手打ちそば職人を多く輩出している一茶庵を起こした片倉康雄氏は、そばを食べる合間に微量を舌先にのせ、口直しとして使う、という。わさびのような香りのきついものを蕎麦つゆに溶いてしまうと、蕎麦の香りが消されてしまうという事に徹底的にこだわるからだろうがね。
 でも、これは蕎麦を提供する側の想いだから、お客さんがそこまでやるかどうかは、ご自由の世界。

 

 唐辛子は一味がいいのか、七味がいいのか?

蕎麦屋親爺  来たな!
 一味しか置かない蕎麦屋がおおいかな。最近はわけわかんない蕎麦屋も多くなったからねぇ。
 唐辛子、ケシの実、麻の実、山椒、胡麻、陳皮、青海苔なんぞ、それぞれ好みで配合されたのが七味唐辛子だが、こういうのはどちらかというと、うどんに向くが、冷たいもりやざる蒸籠には七味のような複雑な味は邪魔だというのがそば打ちの気持ち。
 蕎麦の香りやダシの香りに七味は向かないってね。
 ついでに葱(ねぎ)って必ず薬味につくが、なんでか知ってるカイ?
 栄養的な面で考えないとすると、その昔、蕎麦にゃ毒があるなんて話がまことしやかに伝えられていて、「その毒を祓(ハラ)うために禰宜(ねぎ)をそえる」って江戸っ子のシャレで、禰宜=神主=葱を毒祓いに添えたって、言い伝えがあるがねぇ、本当かどうかわかネェ。
 でもこのくらい洒落っ気あるネーミングっていいわな。昨今は何でも短縮すりゃいいって風潮のネーミングあるが色気も洒落っ気もないわ。
 「ヒャッキンに行く」なんて、若い衆がいい、「借金に行くナンテ十年早い」って頭叩いてやったわ。
 叩かれた若い衆も何がなんだかわからんわね。

 

 食べ終わった頃に、白いお湯が?

蕎麦屋親爺  ウーン…、最近の若い人は「そば湯」をしらないんデェ。
 「そば湯」てぇのは、文字通り蕎麦を茹がいたときのお湯で、残ったそばつゆにこの「そば湯」を足して、「蕎麦を喰った」という余韻を締めっくくりに、一人味わう。
 蕎麦の色んな栄養は実に水に溶けやすい性質で、ルチンなんて奴は実にイイ成分、血管を強くするから高血圧の人なんか最高テェ奴、最近は「ドロドロ血」を「サラサラ血」に一晩でしちゃう効果が注目されてる。
 これらがそば湯に沢山とけ込んでる。
 店の営業が始まったばかりはどうしても薄いが、昼時過ぎが一番濃い、この濃いそば湯で割った蕎麦焼酎がまた格別・・・、おっと又横道に。
 このそば湯も一辺にドバッと入れない、それでなくても蕎麦つゆは麺の水分で薄まってっから少しづつ足してダシの塩梅を楽しむってぇわけ。
 いい「そばつゆ」ほどそば湯を入れてものびるわけでぇ。

 そば湯を楽しんで、さあ帰る?

蕎麦屋親爺 蕎麦っ喰いは、さっさと喰って、さっさと帰る。
 蕎麦通は、ゆっくり酒と蕎麦屋の酒肴を楽しんで長居する。」
 なんて、昔っから言われたモンだが、どっちでも自由。

 小さな子供さんが、「ゴチソウサマ」なあんて言ってくれたら、もう最高。
 子供は正直だから旨い拙いがハッキリしてる。
 子供さんに気に入られると親も引きずられてくっからねぇ。(笑い)

 最近、「小さな子供さん連れお断り」なんて看板堂々と出してる蕎麦屋があるが、アリャねぇ。
 親が子供を連れて蕎麦屋にこないで、ナンデ食い方教えられる。
 母親が箸の持ち方をキンキン声で注意したって効き目ないが、蕎麦屋でセイロに残った蕎麦をきちんと最後まで箸でつまんで食べられないのを親が笑ってやれば、子供さんはムキになって箸の持ち方を直し摘めるように頑張る。
 先がフォーク状になったスプーンなんかで育ちゃそうなる。
 まあ、弊店の若い衆も採用した頃は箸の持ち方から仕込まにゃならねぇ。
 ヌキ(ソバの実)を箸で摘めるよう練習させて箸の持ち方も直すがね。
 箸も満足に使えないで、粋な大人の世界にゃ入れないゾってね。
 そういう親子の関係なんぞ、ファミリーレストランなんかじゃ出来ネェ。

逆に小さい頃から親子連れで来店され、大学生なんかになって来店されてくれた日にゃ、うれしくなって親御さんにも息子さんにも酒だして乾杯しちゃう。田舎の蕎麦屋のオヤジのうれしいシーンだわ。

 でね、まあ、店を出るときも暖簾は手の甲で粋に・・・。

 色々難しいモンですね

蕎麦屋親爺  そんなことねぇヨ、要は、
「粋により、野暮じゃない」
 ってぇところだろうよ。
 蕎麦四ー五本をたぐって、そばつゆチョイつけて、口にほうって、そんでもって、むせたら・・・、最高に『野暮天!』
 これは積み重ねだから。
 あんまし、「通」ぶったり「粋」がったりなあんて思わない方が。
 無理にやると、メチャ嫌みで野暮天
 「カッコイイ蕎麦っ喰いボーイ」じゃなく、「野暮な粋がりヤロウ」になっちゃう。
 蕎麦屋は、気さくなところがいいんで、最高級レストランの洋食と勘違いしちゃ困る。

 何か最後に?

蕎麦屋親爺

 ・・・だねぇ、お客様が粋がるのはかまわないが、蕎麦屋があんまし粋がっちゃだめだってぇ思ってる。
 最近ナンカ高級割烹モドキや、洋食レストラン風の蕎麦屋が開店しているが、なんかお客様に「緊張せい!」って、店の方が要求しているんデェ!
 「オイオイ、いつから蕎麦屋は昔のフランス料理屋みたく客に、やれタキシードだ、ネクタイだ、」みてぇな事を言うようになったんだぁってネ。
 なんか、勘違いしている。
 お客様に変に要求するのは、そりゃ蕎麦屋の堕落のはじまりだネェ。

 ましてや、「折角行ったら、今日は蕎麦ツユの出来がウマク行かなかったんで休業!」なんてねぇ、ラーメン屋でもそういうのを「ウリ」にする店なんかあるよネェ、これも勘違い、堕落のはじまりだぁネェ。
 「ウマク行くように、毎日作るのがプロなんでぇ」ってね。
 そうじゃねぇと、折角来てくれたお客様に失礼じゃねぇかってね。
 そんな店を変にTVが持ち上げるのがイケネェ。
 昔はそんなことしようモンなら、先輩や修業したとこの親方が、
「来店したお客様を帰すなんて、いつからそんなエラクなったんだぁ」
 って怒ってくれたもんですよ。
 「頑固一徹」てぇ奴と「プロらしくない甘え」と、ナンカとんでもねぇ勘違いしてるんじゃネェかってね。

 よく語るオヤジだわぁ!じゃあ、ね!

蕎麦屋親爺  おぉ、ちょい待てやぁ!
 最近「子供さん連れをお断り」する店が増えてるが、ありゃどうもねぇ。
 それに、子供んときから「蕎麦屋酒」見せてやらにゃ。
 板ワサや焼き海苔なんかを注文し、本わさびの味香りを教え、醤油にワサビを落とすんじゃなく、海苔に山葵をチョットつけ巻いて、そんでもって醤油つけて、口ん中で海苔と醤油と本ワサが二弾三弾とキイテクルなあんて事、父親が教えないで、誰が教える。
 そして、高校生くらいになったら「蕎麦屋に連れてく」って母親には言い、ソンデこっちは甘口の酒だ、これは辛口なんて、酒の良さなんかをさぁ母親に内緒でコッソリ教えてやったら、酒の味のわかる大人になってくれる。
 こういう事やりゃぁ、父親と子供の会話なんかなくっても、オヤジの背中見る子供になる。自然のコミュニケーションてぇ奴だ。
 ファミレスなんかでこんなシーンやれんだろうよ。
 チェーンの居酒屋じゃこんなシーンできんだろうが!

 蕎麦屋・鮨屋・焼鳥屋・天麩羅屋・豚カツ屋・おでん屋・居酒屋・・、○○「屋」に連れていかんとなぁ。「屋の文化」てぇ奴を若いもんに教えんと。
 そういう親子連れがくるとモウ調理場で嬉しくなって、一人ニヤニヤする、一番蕎麦屋やってて嬉しいモンデスヨ。

 よくお客さんに「オマエとこは、蕎麦屋のくせに丼モンやっていやがる」てぇ言われるが、それは蕎麦屋の「そばつゆ」の副産物みてぇモンで。
 子供時分、先代によく馴染みの寿司屋に連れて行かれたが、寿司も旨いがその酒肴が旨かったのが今でも思い出すネェ。
 で、寿司屋の「酒肴」も昔は、寿司ネタの「副産物」、その日残った寿司ネタ食材を翌日の酒肴に色々工夫し、味付けする、その寿司屋の親方がさんざん考えて苦労してつくる酒肴だから旨くないわけがねぇ、これが旨くて、今日はどんな酒肴が出てくるか行く前から楽しくてぇ、それで通うわけで、そうこうして馴染みになっちゃうわけ、副産物の成果だネェ。 
 天丼・カツ丼・親子丼なあんて「そばつゆ」こそがあってあるもんで立派な副産物、親子丼なんてぇ親鳥生肉のダシと「そばつゆ」が絶妙にマッチしているんで、つくるほうにしちゃ捨てがたいと思ってる。粋てぇのを勘違いしちゃあねェ。
 ・・・江戸っ子の食通・「遠藤功」って人がいるんだが、その人が昔ある蕎麦の本で、確かこう言っている、

 蕎麦屋というのは世界でも珍しい飲食店だ。
 居酒屋でもパブでも飲茶屋でもない。
 ましてやカフェバーでもない。
 もともと腹一杯に喰いにいくモンじゃねぇし、だからといって酒だけを飲みにいくところでもない。
 ほかの飲食店よりも雰囲気や空気など、売ってるもの以外のトータルな面白さ、深み、店の見識なんかを楽しめる空間なんだ。
 喰い方にも伝統があるのもおおきな特徴で、やっぱし店構えも店内もこざっぱりして、なんとなく蕎麦と醤油、そしてホンマもんのダシのにおいのする・・、

 世界で唯一の特殊な空間、それが蕎麦屋だ

 てね、うれしいネェ、こういう風に蕎麦屋を見てくれる人がいるってぇのは。
 お客さんから、「とても気持ちいい時間を過ごさせてもらった。」と言われて帰られるともうたまんなく、ウレシイ。。
 いつもお客様にこんな風に言われるよう、根性いれて頑張らなきゃ。

 あのぉ、女性がひとりで蕎麦屋酒って、粋じゃない?顰蹙かわない?

蕎麦屋親爺  お! なんだ、お前さん、ひとりで蕎麦屋酒したくなったか?
 てめぇの働いたカネでやるんだ、粋も野暮もねぇ、楽しみゃいいだけでぇ。
女のひとり酒

↑ 蕎麦屋親爺のお気に入りの夭逝された作家・杉浦日向子の「1日江戸人」から転載。 平形のぐい呑みで飲むと指先が伸び綺麗に見える、江戸の美女は縁が薄く浅い盃を好んだ。 盃を口につけた時深い盃より唇がゆがまず美しいからといいます。

「男もすなる蕎麦屋酒といふものを女もしてみむとて、するなり」
 てぇやつだわな。
 蕎麦屋で、蕎麦屋独特の酒肴で大人が一人楽しむという世界は10年くらい前から話題になり折からの手打ち蕎麦ブームも相まってい、今や「粋」や「通」「おつ」の代名詞になってしまって・・・こういうブームになりゃ、当然「蕎麦屋酒」への
「おおいなる誤解」  が生じてしまうのが困るんでぇ。
 「粋、通、おつ」の世界に、男女の区別なんざ、これっぽちもねぇのに。
 まあ、「粋」については拙サイトの、
蕎麦屋親爺も問わず語り・蕎麦屋や鮨やが粋だって?
 を読んでくれりゃいい。
 俺なんざぁ、女性が一人暖簾をくぐってくれて、回りの好奇な目線など気にする気配もみせず、辛口をぬる燗で板ワサつけて、てぇ注文頂いたら板場で小躍りしてしまう。
 辛口のぬる燗を一口試し、ちょっと間をおかれて頷かれた日にゃ、もう一日中機嫌いい。
 文庫本なんかバッグから取り出し、それを読みながら自分一人の世界を弊店の席につくって頂いた日にゃ、つくづく、蕎麦屋やっていて良かった、ってね。
 こんな女性が折角一人酒の世界をやってるのに、たまたまそんな場面に居合わせた男性客がいい気になって、スタッフに、
「あちらの女性に、注文したお酒と同じ奴を1合、私から、と」
 なぁ〜んて言ってこられても、
「皆さん、一人の世界を楽しんでおられるからそれはご遠慮されたほうが宜しいかと、店主が言っております。」
 とスタッフには応えさせている。
 助平心じゃなく、その男客も女の一人酒が嬉しくてという気持ちで、そう言われるのはわからんでもないが、それなら黙って女の一人酒の世界を邪魔しちゃなんねぇ。
 それこそが「粋」ってぇもんで、「野暮じゃない」てぇのは難しい。

 そういやぁ、野暮用で東京に行き、結構有名になったイタリアンでコースを注文し、ボーイが奨めるワインのゆっくり味わっていたときの話。
 年の頃30半ばの、黒いワンピースの女性が一人ボーイに案内されて隣の席につき、一人ディナーを楽しまれようとして。
 が、回りの席はペア以上の客ばかり。
 俺もひとりなんだが、ペアの男女がその一人客の女性をしつこいほどちらちら見ていて。
 一人女性客の選んだコース料理がどんなものか、興味津々らしく。
 他人の注文した料理の興味をもってのぞき込むことは俺もないではない。
 が、その目あの男女は一人女性の食事ということに興味を持ったのか、小声で語り合うのが丸聞こえで、
「あの女(ひと)すっぽかされたのよ」
「きっと二人で予約したのに男が来ないってか」
「仕方なくボトルワインを一人でがぶ飲みするのよ」
「可哀想だな」
 なんて、馬鹿な会話を聞く羽目に。

 ったく!
 俺にだって聞こえてるんだから、当然くだんの女性客の耳にも届いてる。
 ひとりの楽しみ方があるのを知らないガキ共だ、としみじみ思ったものだった。
 二人にはふたりの、仲間には仲間のそれぞれの利点と楽しみがあるのはこちとら50年生きてきて承知だし、十分それを味わってもきた。
 けれども、
 ひとりにはひとりしかない刻の過ごし方ってやつが存在する。
 食べることがメインの家庭的店にも、軽く一杯ってぇのが目的の縄のれんにもない、いわゆる贅沢な刻をひとり静かに漂う悦楽。
 それが「大人のゆとりからくる楽しみ」
 なんじゃねぇか、って思って、ペアの男女が目線をその一人女性客だけでなく周囲にさまよわせた頃合いに目線を合わせてやって睨んでやったら、小声を一層落として暫くするとそそくさと席をたっていって。

 その頃合いを狙っていたのか、他の席の男二人客の席からその一人女性客にワインを振る舞われて。
 助平心からなのか、それとも私のように女性一人の刻の過ごし方に感動してなのかはわからないが、思わず溜息を大きく吐いてしまって。
 ボーイが、
「あちらの席のお客様からでございます」
 とテーブルに置くと、くだんの女性は口端を少しつり上げ男性客に軽く頭をさげたはいいものの、そのワインには目もくれず。
 当たり前だ。
 余計なお世話だ。
 ワインには好き嫌いがある、好みのワインを好きなだけ呑む、更には呑み方のペース配分てぇ奴もある。
 思わず、
「邪魔は野暮だわ」
 と呟いたつもりだったが、くだんの女性に聞こえたらしい。
 素晴らしい笑顔をこちとらに投げかけてくれて、さっと席を立ち帰った。
 いい女だぁ。
 あんな女客にこそ、弊店にきてもらいたいなぁんて思いに耽ったてぇ次第。

 要は、蕎麦屋酒を女一人でやるなんて「男の粋」と違って顰蹙ものなんてぇ、思い込みの世界としか言いようがねぇ。
 蕎麦屋での一人酒もレストランの一人食事も、やりたいからやるでいいんでぇ。
 端の目が気になるならやらんでいい。
 まして顰蹙を買うんじゃないかと、世間体を気にするならしなきゃいい。
 もう、いい歳になったらそんなこと気にしないで生きたいもんじゃねぇですか?
 蕎麦好きのちょいとばかし生意気な子供はまだまだでぇ、10年早い世界てぇものがあるん。
 腹ぺこの青春諸君もわざわざ蕎麦屋なんぞに来んでいい、青春諸君の胃袋を喚起させる食べ物も店も世の中ゴマンとあるんじゃねぇかい。
 デートや接待に使える蘊蓄なんぞないかい、とデータ収集のつもりのサラリーマン諸君、蕎麦屋酒はそんな味気ない邪な世界じゃないんでぇ。

 普段の中に「憩い」ってぇ奴が必要なんで。
「憩」ってぇ字は、心のうえに自らの舌と書く。
 料亭やレストランじゃねぇ、はやりのグルメスポットや居酒屋でもねぇ。
 男も女も、「蕎麦屋でたしなむ酒の味、そんな刻が持てる」というところに生き甲斐があるてぇもんの世界でぇ。

 女将が見送りに来て、

女将アイコン 「タイショ−!」
「いいかげんにこの辺で!」

 

蕎麦屋親爺・・・だな!
 ・・・ま、「粋」てぇのは、やせ我慢みてぇなもんでね。
 「粋な蕎麦っ喰い」は大変だから無理するこたぁ全くないねぇ。
 後は、リンク張っておくから ↓ の、

蕎麦屋親爺問わず語り「蕎麦屋親爺の問わず語り」

 でも読んでくれやぁ。
 じゃあ、どっかの蕎麦屋で会うことを期待してな。
 せば、な。