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11.昭和生まれの蕎麦屋

11. 昭和生まれの蕎麦屋たちの登場

 1982(昭和56)年、小樽蕎麦商組合は初めて昭和生まれの組合長「加藤三郎」(更科本店)氏を誕生させる。
 氏の任期は、戦前・戦中世代から、戦後世代への移行の苦労の連続でもあった。
 加藤組合長就任から、1993(平成5)年の「小林幸雄」組合長(両國本店)にバトンタッチされるまでの時代、それは、
ファーストフーズ業界においては、
・ケンタッキーが300店から1000店
 に拡大し、
・マクドナルドも1000店、
・コンビニエンスストアの雄セブンイレブンは優に1000店
 を越える時代であり、今日の激烈な超激安価格破壊戦争のスタートの時代でもあった。
・カップヌードルの全盛、
・グルメブームの爆発、
・スパゲッティ・パスタ店の勃興、
・中華料理店の勃興、
・ヌーベルキュイジーヌ、
・ミスマッチ
・カフェバー、
 に至る時代であった。

 更に、人件費の高騰で蕎麦業界はますます店主夫婦とパートタイマーの三チャン化し、価値観の多様化、レジャーの多様化、生活スタイルの激変と、小樽蕎麦商組合を巡る状況は極めて困難な時代でもあった。
 それを世代交代によって纏めあげていくのが小樽蕎麦商組合執行部の重点課題となっていた。 
 それは、戦後の荒廃した社会の中で営々と店舗を築き上げ、分裂した小樽蕎麦商組合を統一し、唯一の経営者団体・環境衛生同業組合を全道的に組織してきた世代から、戦後世代へのスムースな移行を目的に、日々小樽蕎麦商組合を運営していくという困難さでもあった。

 そして、小樽蕎麦商組合はそれを見事に成し遂げた。
 小林幸雄組合長の「組合員の和」を最重要視する路線がその成功を導いた。
 参加者が減少し20人を切る慰安旅行を、営業に影響を与えない形の今日の「一日温泉付き慰安会」に転換した結果、毎年一〇〇名近い参加者を続けるスタイルを確立し、平成9年、ついに「小樽蕎麦商組合青年会創設世代」で初の
組合長・「宮下勝也」(伊佐美屋本店)氏

 を、誕生させるに至る。

 今日の小樽蕎麦商組合役員会は、文字通り小樽蕎麦商組合青年会創設組合員によって大半が構成されるにいたり、定例の役員会は門戸を開け、青年会会員も積極的に参加できるスタイルに変容した。
 このような小樽蕎麦商組合の世代交代の成功は、北麺飲組合の3部会制を堅持した成果と相まって他の様々な飲食関係組合の世代交代を押し進める起爆剤になった、と言っても過言ではない。

 確かに、小樽蕎麦商組合の役員に多くの人材を輩出した青年会は、この数年深刻な会員不足に悩み、「青年会」組織から「青年部」組織として転換をせざるをえない状況を強制された。

 が、再び戦後世代の子息の加入で、その活動を活発化させはじめた。
 この世代が、グルメの最後に到来した、
「手打ち蕎麦」
「蕎麦屋酒」
 の時代を迎え、それを好機としてとらえ、今後の小樽蕎麦商組合のあらたな100年をお客様に愛されながら進んでいくことになると、確信する次第である。

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