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MacBook Air 201201

Macbook Air

 Macbook Air 11インチが1月に到着した。
 Apple StoreのBTOでフラッシュメモリー125GBに増設した奴だ。
 永年、Apple iBookを持ち出しようMacとして使ってきた。
 頑丈だったが、齢64が持ち歩くにはあまりにも重すぎた。

 北海道から東京に出て、内幸町などの地下鉄通路を歩くだけでヘタッテしまう重さだ。 兎に角、持ち物は少ないほうがいいと、キャスター付きキャリングバッグの大きさも鬱陶しいくらいに感じる男で、バッグ一つで動けるスタイルを追求してきたが、重さだけは敵わない。
 1kg・・・  もう、これで苦労しないですむ。 MacbookAir本体、電源コード、USB Ethernetアダプタ、USB、B-Mobile、それにドトール珈琲ショップの都内のマップさえあればいい。
 

Road to Our WebSite 2009.03.09

 

目が点になる

 やっと拙"蕎麦屋籔半オッフィシャルサイト"の、バージョン3をアップロードした。
 が、ウフフ、マイナーバージョンアップだとはいえ、やはり一発アップロードで完了とはいかず、上手くはいかない。
 弄るのもイヤだが、WindowsPCでもチェックせにゃならぬ。
 世の中にWindowsOSがあるのが、問題なのだ。
 Windows用Safariを是非ダウンロードしていただきたい。
 とは、言うものの世の中Windowsのあのミミズののたくったようなフォントを当たり前と思い込んでいる御仁が多いので、一応Windowsの”インターネットエクスプローラー”で、チェックする。
 マッキントッシュ画面では全くそんな症状が出ないが、Windowsの”インターネットエクスプローラー”上では、サイドバーが崩れ落ちる症状が現出。
 ・・・目が点になる。

 が、HTMLもCSSも論理性しかない。
  画像サイズの横幅の計算もせず、blockquoteタグをかけすぎて、それがサイドバーをずり落とさせている。
 人間の場合はこうはいかない。
 論理だけでなど、人間は生きていけないし、感情と心がある。
 それに比べれば、HTMLやCSSはこちらが間違うとそのように表現・表示するだけ。 相手のこころの内など推測する必要など全くなく、当方が間違ったと素直な気持ちでチェックをすればいいだけ。
 そう、要はHTMLコードをしっかりチェックしていないから、レイアウト崩れということになる。

 しかし、コーディングなど「アラ還」の年代には・・・つらい。
 目はしょぼしょぼになり、目やにはたまり、目が霞んでくる。
 プロは何千ステップのコードをチェックするのだからたかが蕎麦屋親爺のつくるサイトの何百ステップくらいのコードくらいはチェックせんとと自分に無理矢理言い聞かせ、そもそもプロならこんな単純なタグエラーなどしないと自嘲しながらやる。
 ・・・ のだが、女将の「早く寝なさい」攻撃には「万歳」するよりない。
 こういうコーディングなどという消耗な作業は、仕事でやる場合以外、やる気になったときにやらねば、結局投げ出し放置してしまう。
 女将に、そんなコーディング作業をやらねばならない気分のありようなどを説明してもまったく通じない、そういう意味のない行為は諦め、女将の声は無視。
 英語バージョンをさっさとやりたいのだが・・、まだ日本語バージョンのコードチェックが続く。
 おそらく、ほぼ目途がたった頃には私の老眼は一層進行しているだろう。

Road to Our WebSite 2009.01.01

canonG9いよいよ、小樽・蕎麦屋・籔半 麺遊倶楽部のversion3の立ち上げ直前となった。
Mac ユーザーになって21年目。
若女将を張りに長女が帰省入社。
いよいよ蕎麦屋親爺は還暦。
記念というわけではないのだが。

なんとかCSSが少し身近になって、友人達のソースコードを参考に頑張っている。
この作業が終わり、Version3の立ち上げが完了すると・・・「新お品書き」の作成が待っている。

それにしても、子供達をMacユーザーにしておいて良かった。
これまでつくってきたデータを全部やればいい。
但し、本サイトに使用した画像データオリジナルデータから、ウェブ用画像データ、テキストデータときっちり整理して渡さないとならない。
ハードディスクの深い深い階層まで探すなど、自分で考えてもゾォとする。
6月に購入した、Canon G9でメニュー画像を全部取り直す作業もせねばならないか・・・
落ち着いて、腰を据えてウェブサイト、新お品書きづくりに専念したい。

Road to Our WebSite 2007.03.01

Mac Powerbook g4
  2004年《小樽・蕎麦屋・薮半麺遊倶楽部》ウェブサイトを立ち上げる際、カスケードスタイルシートという言葉がマニュアル本にあり、それを自分でやれるようになれば、かっちりしたウェブサイトを作れるとは思ったものの、とてもそれをやるなど途方もないことと思ったものだった。
 しかし、ブログをやるようになって、CSSがブログと切ってききれないもで、やってみるかと挑戦したものの、タグをエディターで入力してしていくなど。とてもとてもと諦めてしまった。
 が、7年越しの、とある事業の進捗が仲々進まず、それを考えると頭が回転してとまらなくなり、寝付けなくなってしまった。
 それを無理矢理眠らせるためにマニュアル本のCD-ROMに付録で収録されているCSSテンプレートをコピーし、それを見よう見まねで。
 いつになったら完成するか、まあ、じっくり。
    

Road to Our WebSite 2005.04.01

Mac Powerbook g4
 最近ブログにハマっております。
 XMLだぁ、なんだぁそれ、蕎麦屋の親爺にXMLの凄さを吹聴しても意味ない、それをつかった庶民がいじれるアプリが出ないと意味ない、と3年前であったXMLの大家に逆襲した私でしたが、やっとそのXMLの世界に入るわけです。
 RSSの意味もやっとわかってき、TrackBackの凄さに舌をまく昨今です。
 半年以上前から「これからはブログです、掲示版などいらなくなる」と教えてくれたM氏に「忙しくてそれどころじゃない」と言っていた私が今ハマっているわけです。
 「君子豹変」ですわ。
                

Road to Our WebSite 2006.06.11

Power Book side

 父の日と謂う、慣習がある。
 ナント、その父の日に、Apple Macintosh MacBook Proをプレゼントされた。(^^)

 CPUが Intel の石だ。
 だが、使ってみるとインターネットが猛烈に早い。(^^)
 アプリケーションソフトとの相性はどうなかの、ゆっくり試してみよう。 周辺装置がこれまでのPPC対応だから使い物にならなくなるのは、ハッキリしているわけだ。
 Boot Campをインストールした。 
 Mac上でWindowsが走るなど気味悪い(^^)
  一ヶ月後の感想:BOOT CAMPは、インストールしたが、その時だけ。19年間 Mac User がなんで今更 Windows System をいじらにゃならんのか、と一ヶ月後 Windows は去ってもらった。
 一番使用する、既存アプリはほぼ走るわ。

Road to Our WebSite 2004.09.01

megane

2004.09.01
 小樽・蕎麦屋・籔半・麺遊倶楽部、ウェブサイトを立ちあげてしまいました。
  「なんで、市民運動や観光のウェブサイトを立ち上げ、運営
   しているのに、自分の店のウェブサイトをやらないの?」
と、言われ、
  「男の美学、プロの印刷職人を世の中から抹殺するものに何
   で手を貸さねばならん。」
とすましてはいたものの、
  「人一倍店を空け、小樽観光や後志観光のホームページをつ
   くり、運営しているのに、自分の店のホームページは何年
   たったら、何台Macを買い替えたら完成させるのか?
   もう、ホームページつくらないならMacを買うのは許可し
   ませんから! 」
と女将に。
  ・・・負けました、完全敗北、言いなりです(^^)

 
 話は30年前、1985年まで遡ります。
 前年法人・株式会社籔半の「代表取締役」に登記上なりました。 が、まだ世間様は先代が「代表取締役」だと思っておられ、私もその方が楽だとのん気にしておりました。
 が、初代・昇が急逝し、否が応でも店主になりました。
 昭和59年小樽運河保存運動がついに終焉し、それまで店を放り投げまちづくり市民運動に狂奔してきた私に、まるで「もういい加減商売に専念しろ」というばかりの急逝でした。

 それまで経理帳簿の多さにあきれ返り、パソコン会計ソフトを研究し、振替伝票入力だけで全ての帳票が製作できるという合理性に惚れ込み、しかし導入を先代に提言しても初期投資額70万というと、  「店主は自分が楽になる事よりスタッフが楽になる、厨房器具の更新などを先に考えろ」
ともっともな切り返しに敗北いたしました。
 それが、いよいよ店主になって具体化できる立場になり、張りきりました。
 大女将・女将の「蕎麦屋の店主風情がパソコンなどを」という冷ややかな眼差しを受けながらです。
   NEC PC9800m2
   日本語ワードロセッサー「松」
   MS-Multiplan
   TOP財務会計
という環境でスタートしました。
 小樽地場の通信会社から、
 「オフィスコンピューターならアフターできるが、パーソナルコンピューターなどアフター出来ない、代わりに価格は仕入れ価格の大サービス。」
という条件で始めましたが、周囲に聞く人は一人もおらず、TOP財務会計をフルに使えるようになるのに一年がかりの苦労でした。
 そのお陰で充血した眼は元に戻らなくなりましたが。

Mac Plus しかし、そんな私に
   Config.sys
   Autoexe.bat
などのMS-DOS 2.11~3.12 から解放されるべき勇気を与えたのが、Apple Macintosh との出会いでした。

 丁度小樽運河保存運動の都市計画や都市デザインを専門とする仲間が Apple Macintosh を購入し、得意満面見せてくれたらもうたまりません。
  日本語システムはまだ販売されておらず英語システムしかなく、折角のExcelもローマ字で打たねばならない環境でしたが、惚れました。
  我が家では、娘二人をもうけ、男の子もと女将は札幌の男女産み分け98%と唱う札幌の産婦人科に3年近く通いますが全くその兆候がなく、自然の摂理に相反することは止めようと夫婦で決めた途端、身籠ります。(^^)
 しかし、私は確信してました、今度も女の子だ、と。
 で、案の定、三女が産まれました。
 で、女将が産婦人科入院している間に、1986年、Apple Macintoshの隠密導入作戦を始動させます。
 名目というか大儀は、私がず「男の子をつくる」と。(^^)
 「Apple Macintosh SE」という男の子を。
 
 紙に書くのと同じ。白地のディスプレィに映える黒のChicagoフォントの美しさに取りつかれました。
 出たばかりのMac日本語OS「漢字Talk7」のosakaフォントのミミズがのたくったような醜さ(現在のWindows マシンのMSゴシックと同じです)を鼻で笑い、英語版 MacOS-System7 に SweetJam という日本語FEPを組み込んだ環境で、Chicagoフォントに似せたSweetJamフォントで走らせる英語版MSーWordは、今では想像できない軽快な入力とシンプルな機能で、酔いしれました。
 手をインクだらけにする、シルクスクリーン印刷での自前のお品書きから、「Super Paint」というグラフィックソフトでのお品書きづくりに陶酔し、今思うと我ながら微笑んでしまう「デスクトップ・パブリッシング」に夢中でした。

Mac SE/30 MacSE/30にアップグレード(当時のAppleには、ハードウェアのアップグレードがあったのです)し、Vimageというビデオ・ボードをつけて、13インチカラーモニターに接続するというカラー環境に入ります。
  販売されたばかりのインクジェットプリンターという今振り返ると実にほほ笑ましいデスクトップ・パブリッシング環境でした。
 ImageWriterというApple純正16ドット・プリンターのデザインに惚れ、プリンターヘッドを外してオプションでつける「ThunderScan」という原始的なスキャナーなど、その発想が今では信じられないユニークさですが、大感動したものです。
 その後、読み取り幅10cm程度のハンディスキャナーを清水の舞台から飛び降りる気分で購入、現在のお品書きの平仮名文字は一文字づつ筆で書いた字体をそのハンディスキャナーで拾い、SuperPaitで加工・修正したものなのです。

Quadra840av ところが、市民運動で出会ったM氏に
  「Macを使っていて、インターネットをしないなんて」
と挑発され、
 「てやんでぃ、デジタルなメールには、行間を読むなんて世界は、ねぇだろうが」
と切り返したものの、
 「ホームページつくれば、まちづくり市民運動のとてつもない武器になるとおもいませんか?」
と切り返され、
   「ウゥゥン、最もだぁ」
と土俵際に追いつめられ、普段、感熱紙FAX文書の保存性の悪さに舌打ちしていたところをくすぐられ、まずメールからインターネットを初めます。
 Mac を導入して、丁度10年がたった1996年でした。
 ダイアルアップ時代からISDN時代に、という時代でした。
 私には画像容量を小さくするテクなどなく、M氏のウェブサイトにアクセスし、画像データをダウンロードして、どうしたらこんな小さなファイルにする事が出来るのか、と首をかしげたものでした。
powerMac7300 そして8年、
  「小樽まちづくり協議会ホームページ」
  「小樽マニア大集合ウェブ」
  「しりべしiネット」
と立ち上げ・運営に参加してきて、やっと自分の営む蕎麦屋のウェブサイトを立ち上げるところまできました。

 小樽観光ウェブサイトの「小樽マニア大集合ウェブ」
 後志広域観光ウェブサイト「しりべしiネット」
 この2つのサイトを8年、立ち上げから運営まで関わらせてもらい、ウェブサイトの運営管理の大変さを痛感しながら、自分の商い上では、ウェブサイトの運営管理や更新処理など「沢山だ」思いながら、しかし女将から散々つつかれ続け、女将の言うことをきかないと今後のハードウェアの更新に支障が出来ますので、アップする事になった次第なのです。
 
iMac 最初はISDN、そしてADSL、今では光ファイバーとインターネット環境は変わりました。
  デジタルカメラからウェブサイト製作の各アプリケーションソフトまで、私のような素人からみると、この8年で目を見張る発展を遂げました。
 Flashだ、CGIだ、javaだ、XMLだ、MySQLだ、Perlだ、RSSだ、などかまびすしい時代です。
 ただ、自分で創れるというデスクトップパブリッシングの世界を経験して、自分で製作できる快楽を知ったわけです。
 印刷会社にいくら言っても自分のイメージに合わない版下をもってこられ、唸ったことが。嘘みたいです。
PowerMac G4 私のMac環境も
  Apple Macintosh SE
  Quadra840av
  PowerMac7600
と、PowerPC環境に移行しました。
 そして三年前、
  iMac
  PowerMacG4 877 QuickSilever
  iBook Dual
とまできました。

 三年間で「どうしたらこうまでガタガタにできる」と パソコン取り扱い店から呆れられるくらい、iBook Dualを使いまくってダウン、ついに、PowerBook G4 を購入。

G5 そして、この2005年、ウェブを立ちあげて Macのカラーディスプレィ表示とWindows のそれとの余りの差にがく然とし、丁度 windows e-Machine が格安で入手できるというパソコン取り扱い店の悪魔の囁きに屈し購入した途端、まだ windows e-Machine 触れてもいないのに、我がディスクトップMacである、
  PowerMac G4 877 QuickSilever
が嫉妬にかられ、ストライキを起こしてしまいます。
 幸いハードディスクは無事で、今、PowerMac G5 Dualの納品を心待ちにしている最中です。
 
 わがiBook、iPod そしてau Infobar anninというオールホワイトのツール群で周囲を固める、という夢は破れました。
 が、三人の娘達が親の夢を、意志を受け継いでいるようです。
 長女はお椀をふせたようなiMacとiPod miniで自分のサイトをつくり、ネットオークションを楽しんでおります。
 次女が、大阪の大学へ入学が決まった時、長女と次女と二人大学生を抱える家庭経済で悩む父親としては
   「大学生協で安いwindowsマシンとプリンターセットになったの売っているだろうが」
と、思わず吐いてしまいました。
 その時、次女は、18年育て初めて見せる、軽蔑の眼を向け、
   「これまでパソコンなど無縁な小さい時から子供たちに散々Mac
    の良さを吹聴し、洗脳するがのごとく言ってきた父親として、
    windowsを買えなどとは、一体どう総括するのか」
と詰め寄られ、すごすご初代 iMac を次女に購入せざるを得ない、体たらくな父親振りでした。
 次女は学生時代そのiMacを使い切り、今春就職し自費で最新のiBookにau infobar にiPodというスタイルです。
 長女・次女ともいい成長をしております。
 残る3女が学校でWindowsをいじり、Macと関係性が形成されていないのが難関ですし、2年前独立した「蕎麦や荒又」の店主も、私に教えてもらえる方がいいとiBookを購入したのですが、音沙汰がないのが心配の限りなのですが。
 
 で、私自身は何も変わっていない(笑)。
 Macに触れたことのないWindowsユーザーがあのMSゴシックがパソコンのフォントなのだとしか知らない「幸い」をせせら笑いながら、しかしウェブ制作だけはWindowsでやらにゃならんのか、Windows ユーザーは「美学」と無縁なのだ、と酒で誤魔化す昨今でございます。
 ドイツ、ケロッグ社デザインのOld Mac SE/30は、今も本棚に鎮座し変わらずに私を見下ろしております。
 三姉妹の娘も絶対棄てるなといい、虎視眈々と狙っております。
 所詮、Macも インターネットもPCもツールに過ぎません。
 砥石で研ぎに研いだ包丁は、その握りから刃先の傷、天然砥石の凹みまでこの上ない愛着を感じるものですが、Macもそうです。
 本ウェブサイトが、その包丁のように愛着を感じられるものに育てあげられるか、と思わずにはいられません。
 HTMLタグさえ、覚えては忘れ去りしのレベルです。
 このウェブサイトにアクセスしてくれる各位と一緒に「小樽・蕎麦屋・籔半・麺遊倶楽部」サイトを育て上げられれば幸い、と想いたがっている、蕎麦屋親爺でございます。