※こちらでは先代社長小川原格が残したページを残しておきたく、そのまま使っております。リンクは過去の物で更新はしておりません。父の事を思い出し、蕎麦屋親爺のブログを楽しんで頂ければ娘としてとても嬉しく思います。
そう、ここ籔半は腹を満たすのではない、刻を満たすためにある。
籔半には蕎麦屋に求められるものはほぼ揃っている。
だが、それ以上のものはひとつもない。
特別洗練されているわけではない。人をびっくりさせるものもない。明治から続くソバ屋がある小樽では、まあ老舗に入るが、むしろ拍子抜けするくらいだ。
が、普段の空気が床と天井の間をスローモーションでゆったりと対流する、その空間っ振りを良しとする。
蕎麦屋の数だけソバ屋の理想とこだわりがある。
〜でなくてはならない、〜であるべきだ、という批評は、憩いの空間には立ち入らせない。
だけれど、籔半でなくてはダメなんだという午後がある。
暑い時節には籔半の戸口が開け放たれ、南西の風が強い日には、石狩湾の水面をすべって日本海の潮の匂いが、ほのかに店内に流れ込んでくることもある。
そんな昼と夜の間に、籔半で、焼き海苔を蚕のように端から食みつつ、徳利の「ひや」でちびちびやる。
外はまだ明るい。
ほのかに暗い店内で、大人たちがてんでに手酌で、つかの間のバカンスを紡いでいる。
年を重ねるのも悪くない、人生まんざら棄てたもんじゃない、って。
蕎麦屋親爺の独り言ブログ
もうひとつのまちづくり市民運動・観光まちづくり編
○観光まちづくりとテロワールと・・・2010.07.03 Saturday
もうひとつのまちづくり市民運動・小樽運河保存運動編
- もう運動はご免だった。
- ここではない何処かへ、ここ以外ならどこでも!
- 帰ってきた小樽と蕎麦屋籔半
- 規制と統制ガチガチのうしお祭りが、まちづくり市民運動の若者部隊を登場させた。
- 最初に、イマジネーション、それがあった。
- 第一回ポートフェスティバル開催
- 水取り山と夢の街づくり実行委員会
- 夢街、小樽の町に打って出る
- 「第二期」小樽運河保存運動の開始
- 『運河保存』を敢えて言わない『うるかし』作戦の始動
- 市がポート翌年、ルート変更なしの『運河埋立修正』案を市議会に
- 「贔屓の引き倒し」の運河条例直接請求署名
- 全国町並みゼミ開催と保存運動内の路線論争の萌芽
- 苦しく切ない時期、が水面下は大変動が起こっていた。
- 西武流通グループが小樽運河地区再開発に名乗りを挙げる
- 商工会議所首脳の運河埋立から保存への方針転換と攻防
- 道路見直し10万人署名運動と小樽運河百人委員会の設立
- 国・省庁・元首相・西武を巻きこむ小樽運河保存運動に
- 政党間の「政治的力学」で運河問題が振り回されていく。
- 政党介入に抗する市民派イニシアティブ
- 埋立・保存両派の五者会談知事提案と内部対立で混乱
- 道知事仲介の五者会談開催と百人委員会の市長リコール
- 運河保存の最後の手だてリコールは迷走し敗北に向かう。
- 小樽運河保存運動は壮大なるゼロだったのか・・・
- 小樽運河保存運動のその終わり方
肩書きなしこそ誉れと生きてきた。
唯一の肩書きがある。
・・・「蕎麦屋親爺」。
これに勝る肩書きはない。
しかし、70有余年生きてきて、色々お問い合わせをいただく。
致し方ない、以下でお許し願いたい。
株式会社 籔半(やぶはん)
1954(昭和29)年12月10日 株式会社藪半設立
創業者: 代表取締役 小川原 昇(あきら) 没
女将 小川原 豊子 没
1984(昭和59)年05月26日 代表取締役 小川原 格(ただし) 1948(昭和23)年10月1日生
女将 小川原 ひとみ
小川原格 経歴
1948(昭和23)年10月1日 誕生
役職
北海道麺類飲食業生活衛生同業組合理事長(2011-2017退任):現在顧問
生活衛生功労・厚生労働大臣表彰:東京ホテルニューオオタニ:2008(h20)10/28 )
北海道一五〇年特別功労賞:北海道庁(2018/h30/09/04 )
小樽蕎麦商組合:組合長
(社)小樽観光協会・副会長(2011-2016退任):現在相談役
小樽市観光基本計画策定委員会副委員長(2008)
小樽市観光プロジェクト推進会議:第一期座長(2010)
小樽・雪あかりの路実行委員会:相談役(2011)
一般社団法人・しりべしツーリズムサポート:業務執行理事(2009)
後志地域総合情報誌《BYWAY後志発刊委員会》:代表(2006)
国土交通省・観光カリスマ(第6次選定2004))
内閣官房都市再生本部地域活性化ナビゲーター(2007)
経済産業省・地域中小企業サポーター(2007)