ヒマをこしらえ小樽のまちへ来たらいい。
 小樽という街は、例えばバスツアーなど急ぎ足で見て歩くと、とても薄っぺらで安っぽい街だ。
 が、のんびり散策してみると、とてつもなく分厚く重厚豪勢な街だとわかる。
 この街には、ハレとケ、聖と俗、ピンとキリが、団扇の表裏にように、ぴったり合わさって露地の奥まで風を送り込んでいる。
 だまって一〇年通えば、小樽が自分の休日になる。 
 つまり、休日に小樽に通うのではなく、小樽に通うことが
 自分にとっての休日になる。
 小樽に着いたらまずはなにはさておき、小樽運河にご挨拶だろう。
 信心不信心にかかわらず、この街の成り立ちと現在の賑わいを見る、それが外来の仁義ってぇいうものだ。
 よんどころなければ、JR小樽駅前からの遙拝でもまあいい。

 蕎麦屋・籔半へは、それからだ。
 ほぉら、黒のエプロンドレスのスタッフが、常連一見の
分け隔てなく、席に案内してくれるのが心地いい。

 ソバは手ごね麺機切りだ。
 やや色黒の細麺の量は、江戸前に比すれば食事とするには丁度の塩梅。
 汁は、関西のお客様には辛い、もり汁ではある。
 箸さばきで甘く香り立つ麺は、長年連れ添ったヴィンテージの呼気を発散し、お客様の全身を包む。
 歳を重ねた家具調度は、黄昏のひとときを、この上なく和ます。
 そう、ここでは、腹を満たすのではない、刻を満たすのだ。

 籔半には蕎麦屋に求められるものはほぼ揃っている。

 だが、それ以上のものはひとつもない。
 特別洗練されているわけではない。
 人をびっくりさせるものもない。
 明治から続くソバ屋がある小樽では、まあ老舗に入るが、むしろ拍子抜けするくらいだ。
 が、普段の空気が床と天井の間をスローモーションでゆったりと対流するその空間っ振りがいい。
 蕎麦屋の数だけソバ屋の理想とこだわりがある。
 〜でなくてはならない、〜であるべきだ
 という、こざかしい批評は、憩いの空間には立ち入らせない。

 だけれど、籔半でなくてはダメなんだという午後がある。
 暑い時節には籔半の戸口が開け放たれる。 
 南西の風が強い日には、石狩湾の水面をすべって日本海の潮の匂いが、ほのかに店内に流れ込んでくることもある。
 そんな昼と夜の間に、籔半で、焼き海苔を蚕のように端からみみっちく食みつつ、徳利の「ひや」ちびちびやる。
 外はまだ明るい。
 ほのかに暗い店内で、大人たちがてんでに手酌で、つかの間のバカンスを紡いでいる。

 年を重ねるのも悪くない、人生まんざら棄てたもんじゃない、って。
 

 実は、以下のような経歴・肩書きは全く好きではない。
 というか、「肩書きなしこそ誉」と生きてきた。
 が、唯一の肩書きがある。
 ・・・「蕎麦屋親爺」。
 これに勝る肩書きはない。
 しかし、70有余年生きてきて、色々お問い合わせをいただく。
 致し方ない、以下でお許し願いたい。

株式会社 籔半(やぶはん)

1954(昭和29)年12月10日 株式会社藪半設立 
創業者: 代表取締役 小川原 昇(あきら) 
女将        小川原 豊子

1984(昭和59)年05月26日 代表取締役 小川原 格(ただし) 1948(昭和23)年10月1日生
女将 小川原 ひとみ

2020(令和2)年 代表取締役女将 小川原 ひとみ

取締役若女将 河野 明香

役職

北海道麺類飲食業生活衛生同業組合理事長(2011-2017退任):現在顧問
生活衛生功労・厚生労働大臣表彰:東京ホテルニューオオタニ:2008/平成20/10/28 )
北海道一五〇年特別功労賞:北海道庁(2018/平成30/09/04 )

小樽蕎麦商組合:組合長
(社)小樽観光協会・副会長(2011-2016退任):現在相談役
小樽市観光基本計画策定委員会副委員長(2008)
小樽市観光プロジェクト推進会議:第一期座長(2010)
小樽・雪あかりの路実行委員会:相談役(2011)
一般社団法人・しりべしツーリズムサポート:業務執行理事(2009)
後志地域総合情報誌《BYWAY後志発刊委員会》:代表(2006)

国土交通省・観光カリスマ(第6次選定20 04))
内閣官房都市再生本部地域活性化ナビゲーター(2007)
経済産業省・地域中小企業サポーター(2007)