小樽・蕎麦屋・籔半でございます、いらっしゃいっ!!
若い男女がRV車なんかで乗り付けて、御来店し、
差し向かいで「蕎麦屋で一杯」をやりはじめ、
ホールスタッフは、すっかりあてられて頬を染め、
所謂「蕎麦屋酒」は粋すぎて気後れ気味の中高年のお客様が、
蕎麦屋で一杯を楽しんでいる若いお客様を、横目に見て、
「あんな若者でもやっっているのか、それなら」
と、安心してご自分も楽しんで頂いて・・・
蕎麦のグルメ本を持参で、
蕎麦屋の楽しみ方などを聞いてこられるお客様などあろうものなら、
嬉しくなって厨房で仕掛けている仕事などブン投げ、
ふと気がつくと、お客様の席にどっかり坐りこみ、
「蕎麦ナンゾ、気取って喰うもんじゃネェヤァ」、
と、突然小樽弁江戸っ子言葉になってしまう自分が気恥ずかしい。
けれども、 どうせ「蕎麦をたぐる」のであれば、
ひとつ、粋に喰ってもらうのが一番お客様にもおいしいと思いこみ、
そういうお客様との会話集、
題して、
「素敵な蕎麦ッ喰いボーイ&ガールになる方法」
てな・・・、
小樽・蕎麦屋・籔半版FAQ・・でぇ。
01.まず、蕎麦屋に入る前に・・・
まず、
「風呂で体を清め、服装は着流しに角帯、足には雪駄が蕎麦喰いの作法・・・」
なんてことは、・・・全くナイ!
更に、昔のレストランのように、
「ブレザー&ネクタイ着用・・・」
なんてこともなければ、更に更に、最近のコジャレタ蕎麦屋でみかける、
「子連れは駄目」
なんてぇことも、・・・ない。
ただ、繁忙時間帯の満席状態・昼食時に「蕎麦屋で一杯」ナンゾを「通」ぶってやろうナンテ、これほど「野暮」はないネェ。
昼間っから「蕎麦屋酒」をやれる余裕のある方は、一生懸命働く人達の昼食がわりの蕎麦を邪魔しちゃなんネェ。
板場も、働くお客さんのメニューを一刻も早く出したいし、午後の勤務開始時間を気にしている、勤めのあるお客さんも、注文したメニューまだかって苛ついていらっしゃる。
そんな時に、酒肴や酒を横で注文されちゃあ、一寸ね。
ホールスタッフに、板場の混み具合をこっそり聞いてから、注文していただければね。
お客様同士も、互いに「気づかい」しあう、それが「粋の第一歩」・・てぇもんよ。
粋な「蕎麦っ喰い」は、2時か3時の「小腹のすいた刻」に、・・・日本語っていいネェ、「小腹のすいた刻」・・・。
一人二人で来られ、あくまでも「昼酒」を楽しみに、来られる。
「間違っても蕎麦を昼飯がわりにしちゃいけねぇ、趣味蕎麦だぁ。」
なぁんて、東京の有名な蕎麦屋の主人はいうがネ。
そこまで気取る気持ちもないし、気取れる店でもないしね、弊店は・・・。
02.蕎麦屋に到着、入るときは?
・・・蕎麦屋だけじゃネェが、飲食店の暖簾(ノレン)は、手の甲で分けて入るのが、格好いい。
そのまんま頭でくぐって入るのは、「野暮天」で、格好悪い。
何故かてぇと、 整髪料なんぞが暖簾に移るし、 女性のヘアピンやなんやらが暖簾に引っかかったりするはで、それが自分の顔や髪に付着するわけでぇ。
胸ポケットのブランドのボールペンなんぞも引っかかって、暖簾にわざわざ差す人もいないではないしね(笑)。
折角の美顔を傷つけかねない。
雨の日に、濡れた傘で暖簾わけるんなんざぁ、暖簾を濡らしもう最悪。
暖簾前で回れ右して、背中から暖簾をわけて体を入れ、で、傘を閉じれば、自分も濡れず、暖簾も濡らさず、後のお客様も濡れた暖簾をくぐることはないワケでぇ。
気持ちいい入り方、気持ちいい暖簾のくぐり方をすると蕎麦も旨くなる。
03.店内に入ったら、どこに坐ったらいいの?
蕎麦屋の方からするテェと、これが一番困る。
ナニが困るかテェと、どの蕎麦屋でも「お馴染みさん」の席ってのがある。
他の席が空いていても、いつもの席が空くまで、待っておられるわけ。
まあ、蕎麦屋の方からすると「お馴染みさん」と「新規のお客様」を差別するわけじゃネェ。
が、新規で来られた場合、まずは店内の隅に立って頂いて、様子見をされた方が、お馴染みさんと新規さんのお客様同士がにらみ合いっこする、ナンテ場面にはならんわけで、大変助かりますなぁ。
そうでなくても昨今は、喫煙と嫌煙が隣同士に座ったものならもう、火花散るわけでぇ。
弊店も、とうとう分煙するってぇことに相成っておりますんでねぇ。
ただね、「たしなみ」って言葉最近使われなくなってねぇ。
駅ソバの立ち食いであろうと、名店の絶品であろうと、きちんと味わうってヤツが、「たしなみ」だぁね。
それこそが極楽で、同時に蕎麦屋の店内の雰囲気をうるおす空気になって、それが巡り巡っていい店となり、お客様に還ってくるっ、てわけ。
蕎麦の「香り」じゃなく「薫り」って奴は繊細で、蕎麦屋ではきつく匂う話題は避けてほしいわな。
生臭い色恋の修羅話、
胡散臭い商い話や口論、
は、「禁煙席」よりは、まず徹底して廃したいってわけでぇ。
04.さぁ、いよいよ、いざ注文?
よく、小樽の蕎麦屋の長老が言ってた、
「ナニが見ったくないって、蕎麦屋に来てドレを注文しようか、
グダグダ決めかねてんのが、一番野暮で、見苦しいっテンだ」
と。
又、
「昔の『蕎麦っ喰い』は、雪駄突っかけたら鼻緒に指がはいるか入らない内に 蕎麦屋に飛び込んで、『もり』にしようってんで、蕎麦屋に入ったらすぐ注 文するのが、約束だァ」
なあんてネ。(^^)
でも、それは江戸っ子気質を誇張した話。
で、ナニもそんなにせっつかなくてもいいんですわ。
で、若い茶髪のピアスしたようなお客様が、
「熱燗に板わさ、あとで『せいろ』ネ」
なーんてやられると、オォ、最近の若いモンも仲々ヤルじゃねぇか、ってね。
調理場で一人嬉しくなったりして。
で、よく、
「『せいろ』を注文するのが『通』なのか?」
ナンテ、聞かれるが、通の方は「せいろ」ばかりかてぇと、そうじゃない。
昔から蕎麦屋の長老は
『かけそばのお客様は大事にしな』
とよく言ったくらいだから、通だって『かけそば』も食べられる。
ようは、『せいろ』に変にこだわる必要なんかネェんですよ。
ニューウェーブの蕎麦屋に限ってそうだが、こだわればこだわるほど蕎麦屋のメニューは少なくなる・・なんて誤った理解も、似非蕎麦通に共通している。
お品書きから好きなメニュー注文すりゃ、いいんでぇ。
そもそも、お客さんが遠慮するこたぁネェ!
05.オーダーしたメニューがきて、いよいよ蕎麦の食べ方は?
蕎麦が目の前に届けられて、すぐ、いきなり割箸で蕎麦をたぐり、てぇヤツは、どうもネェ。
お馴染みさんは、まず暖かい蕎麦でも冷たい蕎麦でも、「蕎麦つゆ」を含むように一口呑む方が多い。
蕎麦つゆを舌で転がして、で、
『今日は俺の体調が悪いのか、蕎麦屋のオメェが根性入れてダシ取んなかったのか、
どっちだぁ?』
『フン! 昨晩飲み過ぎちゃイネェかい?』
『う、うぅんんん、もっともだぁ』
と、蕎麦つゆの味加減を御自分の体調のバロメーターにしているお客様もいらしゃるくらいでネェ。
出来れば、まずは、蕎麦屋の「蕎麦ツユ」を味わって欲しいネェ。
冷たい「せいろ」など、水を切るためにしばらく置いておかれるお客様もいらっしゃるんで。
麺にからんだ水気が「蕎麦つゆ」を薄めるのがいやだ、ってね。
でも、そんなときは、麺を軽くほぐしておかないと、水気が抜けて麺がダンゴ状にくっつぃちゃう。
そうなったら、もう始末におえない。
そんなときは、割箸の先をを日本酒に浸し、その日本酒をパラパラと麺にかけてやる。 と、綺麗にほぐれ、おいしく食べられる、ってぇわけ。
でもねぇ、コレを日本酒でやられるにはかまわねが、お冷やの水でやられた日にゃ、もう折角苦労してつくった「蕎麦ツユ」をわざわざ水で薄めっちゃう。
蕎麦屋からすると嬉しかないネェ。
また、最近巷には、最初からプラスチックの「霧吹き」に酒を入れて、座卓に置いてある同業もあるが、ありゃぁ、あんまりネェ、色気がない。
まあ同業のことアンマシ言うものナンダが、第一、最初から水も切れてない蕎麦に霧吹きで酒かけさせちゃうナンテ、そんなに自分とこの「蕎麦つゆ」に自信ねぇのか、ってネ。
やっぱり、蕎麦の水気がとれ過ぎたときにこそ、自分で注文したお酒に「割箸」を先を浸し、それでチョチョーンと麺に酒を振りかける、のが粋でキマッテルネェ。
06.いつも迷うのは、猪口の持ち方?
蕎麦屋としては、小指を上げ気味にして猪口持たれてもねぇ・・・
別にかまや〜しネェし、云々いわねぇわな。
イイ事教えたろうかい?
猪口(チョク)を持つとき、常連の方は、ま、利き手で猪口を握るが、「小指」じゃなく「人差し指」を猪口の縁から上げ気味に、持つ。
で、蕎麦が長いときにゃぁ、この上げた人差し指と猪口の器の縁を使って、ハサミ代わりにして・・・蕎麦を切っちゃうわけ。
ただ、アンマシ猪口を持ち上げねぇ方が、つまり、手で猪口を持ったままテーブルから高く持ち上げない方が格好イイ。
逆に、猪口に手も添えネェで、猪口をテーブルにおいたまま、口のほうを近づけるのはねぇ・・
昔、犬喰い、猫喰いって、一番見苦しい食べ方って言われたモンだ。
キレイな女性客がそれをやっちゃ最悪だぁネェ。
でね、もう一つイイ事教えたろうかい?
うん、聞きたいかい?
「もり」や「ざる」は「蒸籠(せいろ)」にのってくるが、割箸で蒸籠に盛った蕎麦を取るとき、蒸籠の真ん中から皆さん取られる。
が、蒸籠の端の方から取ると蕎麦がひっつかないいで、丁度食べやすい長さで手繰れる。
コレ、是非試してみたらイイ。
今までなんで教えてくれなかったテェくらい、気持ちよく蕎麦を手繰(たぐ)れる。
07.何故「蕎麦つゆ」は、徳利に入れてくるのか?
いい質問だぁ。
少し話は逸れるが、時間いいかい?
いよいよ肝心なところだ、もう少し付き合ってもらわねぇとねぇ。
それには、何で冷たい蕎麦が、「もり」や「せいろ」、また「ざる」なんてメニュー名になってしまったか、というところまで、付き合ってもらわにゃな らんのだわ。
もともと「もりそば」の【もり】とは、「皿盛り」から来た。
江戸時代、「そば切り」という名称で登場した初期の頃は、猪口などなく、皿に盛った蕎麦に「蕎麦つゆ」をかけて食した。
で、皿盛りに蕎麦つゆをかけ、持ち上げれば蕎麦つゆはこぼれる。
で、テーブルや座卓など設置していない時代なもんだから、皆「コアガリ」で畳の上で前屈みになって食べる。
若い娘さんなどそんな格好しようもんなら、着物に包まれたお尻を他の客にどうぞ鑑賞して下さいってなもんで、蕎麦好きでも女性は蕎麦屋に行けなかった。
・・・どんどん横道に(^^)
次に蕎麦の「水切れ」をよくすんのに、竹ザルに盛るスタイルが登場する。
竹ザルの蕎麦に蕎麦つゆはかけられねぇから、「蕎麦つゆ専用容器」=蕎麦猪口が登場するってぇわけよ。
今のように海苔がかかった「ざるせいろ」になるんは、明治時代にはいってからなんでぇ。
ついでだから、なんで「せいろ」てぇいうかというと、蕎麦屋の初期はお菓子屋さんが片手間につくってた。そばボウロ、そば饅頭、そば羊羹なんぞはそこから来ている。
で、まんじゅうを蒸す蒸籠で「そば切り」を蒸し、そのまま今でいう「熱盛り」でお蕎麦をお客様にだした。(美味いものではなかった(^^))
そこから、冷たい蕎麦も蒸籠を容器代わりにし出したことから、「せいろ」という名前になった、てぇわけでぇ。
要するに、蕎麦を提供する「器の名前」から、そばの「メニュー名称」が由来してる。
・・・と、話をもどすか。
徳利で「蕎麦つゆ」を提供するようになったのは、北海道では昭和四十年代後半から。 それまでは、猪口にじかに「蕎麦つゆ」をあらかじめ入れて、せいろ蕎麦と一緒にお客様に出されていた。
が、これだと蕎麦(麺)についている水分で「蕎麦つゆ」が薄まり、「蕎麦つゆ」の濃度が変わってしまう。
この蕎麦つゆが「薄まる」のをさけるため、徳利で提供ナンデ。
てぇことは、「蕎麦つゆ」を、最初、猪口の四分の一くらい入れ、蕎麦を食べ、で「蕎麦つゆ」が薄まったなぁ、って感じたら、少しづつ足していく、そのため蕎麦つゆは徳利で出す。
又、全く色気のない「麺ロボット」という蕎麦粉とツナギ粉と水を入れてスイッチオンで麺状のものが出てくるマシンが販売され、それを導入して開業する蕎麦屋が増えてるン。
札幌で見かけたが「○トンの圧力で打った更科蕎麦!」なんて看板だしている蕎麦屋があった。 だが、そいう蕎麦・麺はソバを締めに締めてそば切りにするので「蕎麦つゆ」との絡みが悪く、と言うより機械で散々プレスされた分、ソバが「蕎麦つゆ」をはじき 絡みが悪い。
でも、手練り・手打ちの蕎麦・麺は「蕎麦つゆ」の絡みがいいから、猪口に注いだ蕎麦つゆが次第に少なくなる、で、徳利から足す、てぇわけでもある。
08.蕎麦に「蕎麦つゆ」はちょっとだけしか浸けちゃいけない?
ンン、きたな。
ソンナことないんデェ。
蕎麦つゆの濃さはそれぞれ蕎麦屋でまちまちなわけで、薄味の蕎麦つゆの店では、たっぷり浸けたって筋は通るわな。
とにかく、割箸で目一杯蕎麦をすくい、猪口にあふれるくらい蕎麦をいれる、あれでは蕎麦はうまくネェよ。
どっぷり「そばつゆ」に浸しゃア、それは「ショ辛い!」てことにな。
麺の味や香りも全くわかんねェでしょ。
それで、挙げ句の果て、
「アンタんとこのそばつゆはショ辛い!」
なんてクレームつられた日にゃぁ、 もう。
せいぜい、四ー五本くらいの蕎麦を割箸でたぐり、蕎麦つゆにそばの4分の一くらい浸し食べてもらうと、辛口のそばつゆが口中で麺と絡み、美味いんで。
ましてや、連れの相方と話をしながら、猪口に蕎麦を目一杯突っ込み、「そばつゆ」の中でかき回したり、ひっくり回したりじゃ、男女の夜の世界でもあるまいし、 おぉっとフロイトの世界だわ!
ま、兎に角、ショ辛くて蕎麦の香りや喉越しもあったもんじゃネェ。
で、そういうのに限って、せいろのスダレに短くなった蕎麦残してる。
箸の持ち方が悪いんデ。
スダレに直角に箸を立てれば、どんなに短くなった蕎麦も取れる。
まぁ、そうだねぇ、蕎麦・麺を中心に考えるからいけねぇんで。
「蕎麦を旨く食べるために、
少ししか『そばつゆ』をつけないのではなく、
逆に『そばつゆ』をおいしく味わうために、
蕎麦を少ししかつけない。」
ってね。
かき回したり、ひっくり回したりしている子供さんには翔んでって、
「こう喰うんだッ!」
てお教えできる。
で、大人だとそういうのも野暮だしねェ。
09.蕎麦が長くて、上手に蕎麦を蒸籠からとれない?
蕎麦の一番食べやすい寸法が、だいたい「八寸=二四センチ前後」くらいだった。 ソバの手打ちを趣味にされるお客様ならおわかりだろうが、そば切り包丁で切る際、伸したソバをたたみ重ねるが、伸ばすと丁度その長さになるわけ。
昔は、「たった八寸に命をかける」というのが、蕎麦屋の代名詞みたいに言われたクライでね。
とにかく、上手に蕎麦を手繰れない最大の理由は、目一杯、割箸で蕎麦をつかむから。 三〜四本前後を割り箸で持ち上げると、ちょうど手繰り塩梅のいい加減になる。
前にも言ったが、「もり」や「ざる」は「蒸籠(せいろ)」にのってくるが、割箸で蒸籠に盛った蕎麦の真ん中あたりから皆さんとられる。
が、蒸籠の端の方の蕎麦から取ると、蕎麦がひっつかないで、丁度食べやすい長さで手繰れる。
お試しあれ。
調理場が見える蕎麦屋で板場をよくみりゃ、蒸籠を片手にもち、一生懸命スタッフが猫の手のように指を丸め、蒸籠のスダレの上の蕎麦を指でほぐすように盛りつけているシーンが、みられるかもしれない。
「そばを立てる」
って作業で、お客さんが箸でさっとそばを取りやすく盛りつけているわけ。
これをキチンとやるのが「せいろ」の板場の最後の工程で、これをなおざりにすると板長から、
「蕎麦も、まともに立てられんのかぁ!」
って、しこたま怒鳴られる。
入りたての若い衆は、
「蕎麦を、どうやりゃ立つってんだ」
って、怪訝な顔をする。
そば職人の仕事も、結構こまいんでぇ。
10.蕎麦は「喉」で食えってよく聞きますが?
ホォォ、そんな言葉よく知っておられる、嬉しいねぇ。
ただ、それが「粋だ」ナンテ言われるが、何でもそうだが、無理するこたネェ。
要は、蕎麦好きは昔っから、「喉越し」ってぇ感覚を大事にしたわけ。
で、いい蕎麦は「角」がたっていて、それを味わうのが、舌じゃなく、喉だってネ。
手ごね・手打ち蕎麦の、茹がいたあとの蕎麦の断面は、真四角ではなく鼓型になっていて、それが「角が立つ」という感覚を醸し出す。
香りなんぞを喉の奥で感じる、ナンテてね。
一方、製麺屋さんの蕎麦はツナギ粉の割合が多いため(七割が小麦粉、ソバ粉は三割)、機械打ちで締めに締め、時間をかけて茹がくから、蕎麦の断面をみると角が煮込まれ、断面は丸くなり、だから喉越しがズルズルしてよくない。
蕎麦は喉越しって言われる理由はそこにある。
まあ、「蕎麦は縦に食え」テェ言葉もあるんだが、「喉で喰う」からせいぜい3〜4本ていうわけ。
目一杯割箸で蕎麦を猪口にいれちゃあ、誰だって噛まにゃ喰えねぇわけで、それを噛まないで一気に喉の奥にほおりこんじゃ、むせないわけがない。
が、何度も言うが、それをしなきゃナンネェて事はない。
最初から3〜4本はチョット無理かもしんネェっから、1〜2本でもって喉越しよくヤリャいい。
が、それで咽せて涙目になっちゃぁ、最悪、野暮の骨頂てぇわけ。
少しづつ、1〜2本の蕎麦でこっそり練習するこったね。
そのうち、馴れてきて「喉で喰う」ってぇ感覚がわかってくるって。
蕎麦屋じゃ「噛む」ってぇのがいけネェっていうんで、落語なんかじゃ蕎麦はズズズッて食べる、まあ、
「蕎麦と煎餅は内緒でくえねぇ」
て昔からいうからネェ。
TVで落語家の故柳家小さん師匠がそばを食べるシーンがあり、あっという間にそばがみるみる内に喉から体に滑り込む演技に、ほれぼれしたものだった。
で、アナウンサーが
「アノ食べ方が、やはり一番美味しいですか?」
と訪ねると、
「そりゃあ、あんた、本当は噛んだほうがうめぇですよ。」 (^^)
なんでも、そばは啜り込めという話は、スタイルを重視する江戸ッ子の気質が、時代を経る毎に必要以上に強調された結果なんで。
でも、蕎麦は最初からアルファ化ていう奴になってっから、噛まなくたって消化悪かぁないんだよ。
11.薬味は、全部一度に蕎麦つゆに入れていいのか?
まあ、・・・・そりゃ、自由だがね。
薬味を全部一度にいれちゃ、何がなんだか、わからない。
最初ナニもいれないで、蕎麦をそばつゆに浸け手繰り、
次は葱薬味をそばつゆに入れそのツユで蕎麦を手繰り、
で、そん次はワサビで、
って、色々楽しんで頂ければ、それでいいだけですな。
「一粒で2度おいしい」
ってね、グリコのキャラメルじゃネェが、3〜4本づつ喉ごしを感じながら、それぞれの薬味で一枚のせいろをいろいろな薬味で楽しむって、わけ。
そうすりゃ、1枚の「せいろ蕎麦」で充分に腹はくちくなる。
こういう蕎麦の食べ方をしていただくと、大もりなど注文されなくて腹いっぱいになる。
が、皆さんこんな蕎麦の食べ方されちゃ、蕎麦屋が泣く(^^)
まあ、若い方の昼食がわりじゃ、足りないかもしれネェが、小腹のすいた時なんざぁ、それで充分になるわけ。
ただ、山葵(わさび)をソバツユに溶いてしまうか、どうか、って良く聞かれる。 大体普通のお客さんは、わさびはそばつゆに入れて溶く。
中にはそばの上にわさびを少し載せ、箸で一緒にそばつゆに運んで食べる人もおられる。
が、やり方によっちゃあ、かえってキザに見えてしまう。
しかし、これには一理ある。
わさびは酸化するとすぐ辛さがなくなってしまう。
そばつゆに入れてかき混ぜるとまたたく間に辛さが消えていく。
だから、最初からいっぺんにわさびを蕎麦つゆの中にいれないで、少しづつ何度も卸しては味わうようにすれば、最後までわさびが利いて美味しい。
手打ちそば職人を多く輩出している一茶庵を起こした片倉康雄氏は、そばを食べる合間に微量を舌先にのせ、口直しとして使う、という。
わさびのような香りのきついものを蕎麦つゆに溶いてしまうと、蕎麦の香りが消されてしまうという事に徹底的にこだわるからだろうがね。
でも、これは蕎麦を提供する側の想いだから、お客さんがそこまでやるかどうかは、ご自由の世界。
12.唐辛子は一味がいいのか、七味がいいのか?
来たな!
唐辛子、ケシの実、麻の実、山椒、胡麻、陳皮、青海苔なんぞ、それぞれ好みで配合されたのが七味唐辛子。
一味唐辛子しか置かない蕎麦屋の方が多いねぇ。
理由は単純、冷たいもりやざる蒸籠には、七味のような複雑な味は邪魔だ、というのがそば好きの気持ち。
蕎麦の香りやダシの香りに、七味は向かないってね。
ついでに葱(ねぎ)って必ず薬味につくが、なんでか知ってるカイ?
栄養的な面で考えないとすると、その昔、蕎麦にゃ毒があるなんて話がまことしやかに伝えられていて、
「その毒を祓(ハラ)うために禰宜(ねぎ)をそえる」
って江戸っ子のシャレで、禰宜=神主=葱を毒祓いに添えたって、言い伝えがあるがねぇ、本当かどうかわかネェ。
でもこのくらい洒落っ気あるネーミングっていいわな。
13.食べ終わった頃に、白いお湯が?
ウーン・・・・、白いお湯かぁ・・・。
「そば湯」をしらないんデェ。
「そば湯」てぇのは、文字通り蕎麦を茹がいたときのお湯で、残ったそばつゆにこの「そば湯」を足して、「蕎麦を喰った」という締めっくくりに、一人余韻を味わう。
ソバの色んな栄養は、実に水に溶けやすい性質で、ルチンなんて奴は実にイイ成分、血管を強くするから高血圧の人なんか最高テェ 奴、最近は「ドロドロ血」を「サラサラ血」に一晩でしちゃう効果が注目されてる。
これらの成分がそば湯に沢山とけ込んでる。
店の営業が始まったばかりはどうしても薄いが、昼時過ぎが一番濃い。
この濃いそば湯で割った蕎麦焼酎がまた格別・・・、おっと又横道に。
このそば湯も一辺にドバッと入れない、それでなくても蕎麦つゆは麺の水分で薄まってっから少しづつ足してのみ、ダシの塩梅を楽しむってぇわけ。
いい「そばつゆ」ほど、そば湯を足してものびるわけでぇ。
14.そば湯を楽しんで、さあ帰る?
「蕎麦っ喰いは、さっさと喰って、さっさと帰る。
蕎麦通は、ゆっくり酒と蕎麦屋の酒肴を楽しんで長居する。」
なんて、昔っから言われたモンだが、どっちでも自由。
小さな子供さんが、
「ゴチソウサマ」
なあんて言ってくれたら、もう最高。
子供さんは正直だから、旨い拙いがハッキリしてる。
子供さんに気に入られると親も引きずられてくっからねぇ。(笑い)
最近、
「小さな子供さん連れお断り」
なんて看板堂々と出してる蕎麦屋があるが、アリャねぇ。
親が子供を連れて蕎麦屋にこないで、ナンデ食い方教えられる。
母親が箸の持ち方をキンキン声で注意したって効き目ないが、蕎麦屋でセイロに残った蕎麦をきちんと最後まで箸でつまんで食べられないのを親が笑ってやれば、子供さんはムキになって箸の持ち方を直し摘めるように頑張る。
先がフォーク状になったスプーンなんかでいつまでも甘やかし使い続けさせて育ちゃ、そうなる。
とはいえ、最近の若い親御さんの自分の子供への甘やかし方も眼に余るねぇ。
他のお客様のこと全く気遣わないで子供さんを放置し、迷惑かける若い親御さんは眼に余る、(^_^;)
他店が「小さな子供さん連れお断り」の看板出したくなる気持ちわかる、が、弊店は頑張る。
まあ、弊店の若い衆も採用した頃は箸の持ち方から仕込まにゃならねぇ。
ヌキ(ソバの実)を箸で摘めるよう練習させて箸の持ち方も直すがね。
箸も満足に使えないで、粋な大人の世界にゃ入れないゾってね。
そういう親子の関係なんぞ、ファミリーレストランなんかじゃ出来ネェ。
逆に小さい頃から親子連れで来店され、大学生なんかになって来店されてくれた日にゃ、うれしくなって親御さんにも息子さんにも酒だして乾杯しちゃう。
田舎の蕎麦屋のオヤジのうれしいシーンだわ。
15.女将が見送りに来て、
「タイショ−、いいかげんにこの辺で!」
・・だな!
・・・ま、「粋」てぇのは、やせ我慢みてぇなもんでね。
「粋な蕎麦っ喰い」は大変だから無理するこたぁ、全くないねぇ。
後は、リンク張っておくから ↓ の、
「蕎麦屋親爺の問わず語り」
でも読んでくれやぁ。
じゃあ、どっかの蕎麦屋で会うことを期待してな、せば、な。
でね、まあ、店を出るときも暖簾は手の甲で粋に・・・。(^_^;)
この項終わり
さあ、いかがだったでしょうか?
まあ、最近「ソバ屋好き」と呼ばれる お客様にもどうやら二種類分けられそう。
ひたすら蕎麦の神髄へと飽くなく突き進む求道型のお客様、それが昂じて自ら蕎麦屋になられる方も。
一方、ソバ屋でのリラクゼーションを乞い願う悦楽派のお客様が。
弊店は、その後者の、自分の足と財布と舌で選び、蕎麦屋を自らのオアシス、ピットインにされるお客様にお応えし、日々営業していきたいと思いたがっております。