01.蕎麦屋の大いなる誤解を解く!黒いソバこそ本物のソバだって?
店の営業を無事終え暖簾を入れ、蕎麦屋親爺は茶の間で愛機・Power Book G4でメールチェックし、その横で、根が正直の塊みたいな女将と長女が、疲れた身体で放心したようにTVを見ている。
そのTV画面は、行列ができているラーメン屋のシーン。
で、 二人はアップになったラーメンに歓声を上げ、今にも涎をたらしそうに画面に食い入っている。 我が最愛の家内と手塩に育てた長女が、情けない事に断末魔のグルメブームのTV一億総動員体制にすっかり馴染んじまってる。
「なにごとの
おわしますをば
知らねども
かたじけなさに
涙こぼるる」
てぇ状態だわ、と、愛妻と長女の姿に呆れて呟く。
と、娘が、
「いやだぁ、お父さん、何ブツブツ言ってるの?」
「昔な、西行法師が伊勢神宮でそう詠んだんだ。」
「なにそれぇ!」
「あんな厳寒の寒空で、何時間も待ちに待たされ、やっとの思いで一杯のラーメンにありつけば、そりゃどんな味でも有り難くなるってぇことよ。」
「もう、お父さんたら、あんな行列出来る店がヤケルんでしょう」
「ヘン、見てろ、次は『今日はスープが上手くとれなかったから、納得できないから営業はしない』てぇ宣いながら、ラーメン屋の若い店主がでてくっから!」
「もう、お父さんたらぁあl」
「アナタ、そんな事いわないでTV黙ってみ・・!」
家内と長女が驚いた。
言った自分も、もっと驚いた。
画面は、バンダナ・黒いTシャツなんか着た若い店主が、本当にそういって店のシャッターを下ろすシーンが流れてる。
「・・・、ン、な!」
「もう、お父さん、視聴者はそういうのを求めてるんだからぁぁ!」
「今みたい偏屈振りを演技でやれば、お父さんのとこにもTV取材くるわよ!」
「アナタ!ダマって見てなさい!」
TV局の若い女性ADみたいなセリフを吐く長女に呆れ、家内と長女を居間に捨て去って、珈琲マグ片手に自室のMacG4の前に座る。
「ったく、偏屈を演技でやるから、臭くなるんでぇ!」
と吐き捨てる。
この種のTVを見るたびに、ブームとは一体何なのかを考えさせられる。
かつては、東京原宿で目の飛び出る数万円もする価格の「チェ・ゲバラ」のTシャツやトレーナーを求め若者達が行列するのを見せつけられてきた。
まさか、こんなブームになるとは、チェも草葉の陰で・・・
長女に、
「今映っているトレーナーのビデオとっておけ、
後でMacでコピーして、 シルクスクリーン印刷
で大量にコピーTシャツ、つくってやっから。」
と、笑ったものだった。
又、ファッションブランドを追い求めて洋行する若い娘達の姿を見せられてきたし、ペナペナのイタリアンスーツで携帯電話をこれ見よがしにかけまくる若者の姿を見せられてきた。
そして、「衣食住」の「衣」から始まり、ブームは「グルメ・食」にやってきたというわけだ。
グルメ時代もいい。
いいわけだが、私にとって世の中で一番恥ずかしいのは、ワインのテイスティングだ。
ペナペナのイタリアンスーツの若者が、彼女の前でもったいぶってグラスを振り、味香をテイストとする姿をみると、ソムリエもどき達はその若いお客様の様を見ながら、こらえにこらえ、たまらずキッチンに戻って、腹を抱えて笑い転げているにちがいない。
自分の方が赤面してしまう。
シェフが選んだワインを、素直に受けとめる方が余程野暮じゃない。
グルメブームが爆発した時・・・
若い男達がX’masイブには数ヶ月分の給料を入れあげて、ホテルの部屋までリザーブして超高級レストランに彼女を誘おうと清水の舞台から飛び降りるくらいの大投資をした。
が 、散々振り回されてあげくの果てに食事だけで逃げられて、その後、始末のカードローン返済に四苦八苦している時、当の若いOL達は、急激に摂取したブランド志向・キャリアウーマン志向・ハイソサェティ志向に自らほとほと疲れ、温泉ブームに沸き上がり、全身のコリをほぐすべく湯治場へ向かっていたんだ。
こんなバブルのグルメ・「食」の最後にやっと「蕎麦ブーム」。
和・洋・中華・鮨・ラーメンと一サイクルが周り、やれミスマッチだ、やれヌーベルキュイジーヌだときたわけだ。
1980年代までわが日本では、かの仏・タイヤメーカーのガイドブック・「ミシュラン」を「ミケリン」と翻訳していた。
イアン・フレミングの「007」シリーズでは、当時の早川ミステリーの翻訳ではミケリンになっていた。
ホンの20〜30年前まではそんな民族だったのが 、ついには料理人が黄ピーマンを生でかぶりつく真似ごとに狂奔し、無理に無理を重ねて行き着いた先に、ソバ粉と水と小麦粉だけのシンプルな食材ながらはまれば泥濘的世界の「蕎麦」にまでやってきたわけだ。
・・・蕎麦屋のオヤジはなにかしら偏屈で、
「そんな頑固で偏屈な蕎麦屋は、黒い『本物』の蕎麦をだす」
なんて風潮がいつの間にか黴菌のように蔓延してきたのも、この断末魔の悲鳴をあげるグルメブームの崩壊と一緒だった、としみじみ思う。
ま、そんな誤解を生む事を放置してきた蕎麦屋が、さぼってきたわけだが。
とある夜、暖簾に入れるにゃまだちょっと早い、蕎麦屋酒を楽しむお客様がいらっしゃる時間。
最近馴染みになった若いサラリーマンのお客様が、
「タイショウ、この間、札幌の蕎麦屋で、もう焦げ茶色の見るからにソバって色のブットイのやら細いのやら、これが田舎蕎麦てぇ蕎麦出す店にいってきたよ。ま、あれが本当の蕎麦ナンかな。」
と、宣われて。
「旨かったカイ?」
「ン、目茶安いんだ、それが。 ゲソ天なんか山盛り」
「ゲソ天なんかどうでもいい、肝心の蕎麦、旨かったかって?」
「ま、まあまあだな。」
「そっか、まあまあなら良かったじゃねぇか!今の時代、まあまあは良いと思わんとな」
「でも、タイショウのとこの蕎麦とくらべりゃ、白いなぁ」
「あのなぁ、蕎麦の色合いもそうだし、細打ちか太打ちかナンテのもそうだが、ソバ粉選ぶのは蕎麦屋のオヤジの専権事項だわな!」
「おっと、おっかなくなってきた、じゃ、会計し・・・!」
「ちょっとまてやぁ!フリーズ!」
・・・スイッチがオンになっちまった。
「まあ、サラリーマンだから蕎麦のことはわかんねぇだろうがな、蕎麦を色の黒さだけで評価しちゃ、駄目だ。
ま、そんな評論家もゴロゴロしているがな。
確かにそんな単純な評価がまん延しているのも、俺ら蕎麦屋のサボり以外のなにもんでもねぇ。
こんな「蕎麦ブーム」になるなんて、蕎麦屋が驚いているくらいだ。
ミーハーはすぐ流行に乗るから、ナンデモ単純な理解に飛びつきやすい。
ははは、まあ、そう怒らんで。
確かにお客さんのおじいさんの世代で農家をやっていた家では、裏の畑で自家消費用にソバを栽培し、それを自分とこで石臼で挽いておばあさんが蕎麦を打ち家族に振る舞った。
そんな農家では、和気あいあいの団欒が肝心。
で、ソバ粒ナンカ全部丁寧にソバ殻を取らんで少々混ざっていても挽いてしまう。
で、ソバ殻が混ざってっから黒いソバ粉になるし、黒い部分が多く含まれると香り成分が多くなり、ソバ粉の香り一杯の蕎麦になったわけだ。
伸した麺帯をいざ切るのも菜切り包丁でな、で、そんな等間隔で落とすなんて、これっぽっちも気にしない。
そうだ、だから農家出身の人や農業が盛んな地域出身の人は、そういう蕎麦を食べて育ったから、細打ちの白っぽい蕎麦を見ると『これが蕎麦か』なんて事になる。」
「一方、大量生産と様々な段階の挽いたソバ粉の選別のしやすさで、戦後は多くの製粉会社がロール式製粉を導入してきた。
が、巨大なロールでソバの実に圧力をかける過程で発生する「熱」だけはどうしようもない。
どうしてもソバ粉本来のもつ風味、香りがその発生する熱で損なわれるというマイナスがあった。
石臼で人間が回す速度で、つまり風味や香りが回転時の熱で飛ばされないくらいの速度の製粉がな、 そうやって挽いた「ソバ粉」への再評価は時代の必然だった。
食えればいいという時代はとっくに終わってたのに、製粉会社が立ち遅れてきた。
今や製粉会社は、我も我もと石臼で全部挽いた
「挽きぐるみ」
と呼ばれる「ソバ粉」の生産ラインを設備し始めている。
のれんをかかげる蕎麥屋は勿論大歓迎。
製粉会社もどんどん石臼挽き製粉導入をはかり、でもって生産体制を越えた受注をとってしまい、カナダ産のソバを北海道産だなんて偽装表示しマスコミに叩かれる、いつも現場が一番困りはてる、今みたいな時代に至っている。
そう、蕎麦屋もソバ製粉会社もサボりにさぼってきた。
新そば(毎年春に蒔き、9月下旬から収穫される)」を 「挽きぐるみ」 で手に入れ打ったときの、大地の豊穣が甘く感じさせる、
「遠くで淡い緑」
と、女将さんは言っている、新ソバこそ最高さ。
だからと言って、じゃあ
「黒いソバ粉で打った蕎麦が旨い」
かぁてぇと、そうじゃない。」
「オオィ! 女将さん!
板場の主任に言って、更科粉を器に入れてもってくるように!
ここまで話したんだから、もう少し付き合えよな!
ん?ナニ?仕事ぉぉ?お前さん、そんな真面目だったッてか?
今、板長がソバ粉もってくる。
石臼でそばの実を挽きはじめると、最初に芯の部分から粉になり、極めて少量の「真白いそば粉」がとれる。
一升枡のソバの実から杯一杯くらいしか取れないんでぇ。
だから、この「真白いそば粉」は極少量な分当然珍重され、又、このそば粉はほぼデンプン質だから仲々つながらず、蕎麦にするには長年の修業経験と技術が要求された。
爾来 「更科粉(さらしなこ)」 という、一種特別に名づけられたソバ粉という歴史的経緯がある。
今でも「更科粉で蕎麦を打てるようになる」というのが、蕎麦職人になりたての若い衆の夢なんでぇ。
この更科粉を使用しないのに、更科なんて屋号の蕎麦屋が全国にあるが、その特別珍重という意味合いでまあ屋号に使われてきたんだなぁ、これが。」
「ん? なにぃ、」
「偽装表示?」
「ったく、今の時代の奴らときたら、なんでもそうだ!
屋号にどんな名前つけたって、そりゃ違法じゃねぇ時代だった。
先代がちょっと勢いでつけた屋号だろうが!
でも二代目・三代目になって知れ渡った屋号を変えるのも、酷な話だろうが!」
「偽装表示は偽装、違法行為・・・?
あのなぁ、世の中には不正がそりゃあるわな。
しかし、いつどんな場合でもそれを覆し、是正できる、とはかぎらないべ。
とはいえ、だからといって何もできないってわけじゃねぇし、何をしても無駄だということでもないし、何もしなくてもよいということでもねぇ。
できないことはある、しかし、その限られた条件の中でも人は成長できる。
また「正しい」ことを作り出すことができる。
お前さん、宮崎駿の『千と千尋』観たっていってたろうが・・・。
千尋は奴隷になって、厳しい試練にさらされ、そこで自分を見直し、強くなる。
自分を慕うストーカー・カオナシを見捨てずしっかり導き、銭婆の家に連れて行く。
湯婆婆の支配する世界はそのままにそのゆがんだ世界を受け入れるが、しかしそこで成長し、名前を取り戻し、両親を救い出す。
普通、こういうストーリーって、十分に「正しい」こととは言われない。(^^)
そこに「不正」や「悪」があれば、それに抵抗し、それを打破し、「正義」の世界を打ち立てるっていうのこそ「正しいこと」だとされている。(^^)
しかし、それって「正しいこと」の既に作り上げられた見本の物語だ。
それを行えるのは、常に「正しさ」を行える境遇に恵まれた少数者たちだ。しかし、人はそんな幸運に恵まれるわけじゃねぇ。
逆に、そうした強者や勝者の「成功談」や「正義」の物語に取り憑かれているディズニー映画など臭くて観てられないし、敗者や弱者の少数者は追い込まれ「テロ」に走るよりなくなるし、不正をただせないと必要以上の無力感に陥り、希望を喪失してしまう。
だから、考えなきゃだめだ!「正しさ」って何だろう、ってな。」
「なんだか、小難しい話に・・・」
「・・・だな。」
「お! 持ってきたか!
ソバ粉は茶色や黒が本物だ、なんて外観だけで思ってちゃ、駄目なンだ。
この更科粉は、一升のソバの実から、杯一杯くらいしかくらいしかとれねぇ。だから値段も高い。
よ〜ぉぉし !
女将さん!
次は江丹別から届いた「挽きぐるみソバ粉」
と並粉を。」
「で、な!さっきのソバ粉はソバの実の真の部分が粉になったといったが、更に石臼を回すと、挽かれてくるのが二番粉、三番粉、最後が「末粉(さなご)」ってぇ呼ばれるソバ粉になる。
段々表面の皮に近いほう、そう、「そば殻」に近いほう・・ ン、良く知ってんな?
何、枕?
そうだ、感心だな、そんなこと知ってるなんて!
昔はこのソバ殻が枕の中身だったんだ。
実にいい睡眠を与えてくれる枕だ。
今のスポンジなんか入った枕なんか気味悪い
な、ソバ殻の枕にくらべりゃ・・。
おお、持ってきたか!
これが、江丹別産の《 挽きぐるみ》 つまりソバの実全部を挽いたソバ粉。
で、こっちが、一番粉と二番粉の混ざったソバ粉!
弊店では並粉って呼んでいるンだ。
な、それぞれ色も、香りも違うだろうが!
弊店は仕入れていないが、この他に最後の最も表皮に近いところが粉になった「末粉」というのがある。 色はこの目の前にある更科粉、二番粉に比べると黒い、が、香りは最も強い。
しかし、その末粉だけで蕎麦にしたもんなら「歯ヌカリ」する欠点がある。
とても蕎麦にはつかわねぇ。だから、末粉は、打った蕎麦をのしたり切ったりする時に、蕎麦がくっつかないよう「打ち粉」に使う。」
「ん?歯ヌカリってか?
文字通り歯にねちゃつくような感触で、のど越しで食べる蕎麦には、どうしよう
もねえズルズルした感触さ。
どうだい? ソバ粉ってもいろいろあるのがわかったか? 」
「で、やっと本題だ。
この挽きぐるみをつかって打つのも黒っぽい蕎麦だし、この末粉を二番粉に混ぜて打っても黒っぽい蕎麦なんだな。 これが!
どうだ、やっとわかったようだな。
つまり、黒い蕎麦だから本物で、白い蕎麦だから偽物って理解するてぇのは、間違いだってことだ。
どっちも蕎麦なんだ。
この一番粉、二番粉、三番粉、末粉の配合は全部蕎麦屋のオヤジの加減、専権事項なわけだ。
自分の好みのソバ粉のブレンドで打ち、その蕎麦にあった蕎麦つ ゆでお客さんにだすわけだ。 」
「もっとはっきりいうと、
挽きぐるみで蕎麦を打つ蕎麦屋もあれば、
二番粉に末粉混ぜて打つ蕎麦屋もある。
黒くて、なおかつ安価な価格の蕎麦は、どういうソバ粉つかっているか、これ
で想像がつかんか?」
「笑い話が業界である。
日本全国で蕎麦屋は約六万軒前後だ。
国産○○産ソバ粉使用ナンテのぼりや看板立ててる蕎麦屋がべらぼうにある。
が、その蕎麦屋の数から国産ソバ粉の使用量を大ざっぱに計算するてぇと、実際の収穫高の十数倍になるって、な。
ま、恥ずかしい話だから、蕎麦屋は口を閉じてきただけよ。」
だから、本当の蕎麦好きの人たちは、蕎麦の
善し悪しをその黒さや白さで判断などしない。
どんなソバ粉を使用するかは、その蕎麦屋のオヤジの嗜好の世界でり、 営業方針の世界であり、ある意味では蕎麦屋のオヤジの美的感覚の世界まで行き着く。
要は、更科粉、一番粉で打たれた細打ちの繊細な蕎麦の味やのど越しも楽しんでもらいたいし、 本当の挽きぐるみ粉をつかって太打ちで打った蕎麦の野性的なのど越し、歯ごたえの蕎麦もいい。
それぞれ、そういう蕎麦を提供する蕎麦屋で、今日は更科蕎麦、 明日は田舎蕎麦って両方楽しんでもらえばいいんでぇ。
選択肢が一杯あるって、なんか嬉しくないかい?
そういう風に、蕎麦屋を贔屓にしてくれりゃ、そりゃ、蕎麦屋冥利につきる。
今じゃ、人手が大変だぁな。 ソバ粉とつなぎ粉と水を上から入れ、スイッチ・オンで、様々なプレスとローラーの組み合せで蕎麦を打ち、更に、あたかも包丁で切ったかのように、わざと太いのや細い蕎麦を織り交ぜるように切る「麺ロボット」 てぇマシンも販売される時代だ。
蕎麦打ちの親方がいなくったって蕎麦屋を続けられるってんで、口の悪い蕎麦屋は 「未亡人マシン」 なんて呼んでるがな。
が、間違っちゃいけねぇぞ。 機械を使うのが悪いっていってんじゃねぇ、俺っちも手練りで機械切りだ。
蕎麦打ちを許されたころの若い衆の打った蕎麦より、その麺ロボットで出来る蕎麦のほうがうめぇ。
しかし、一〜二年蕎麦打ちを懸命に覚えた若い衆の打った蕎麦、それでもお客さまにはまだ出せるそばじゃねぇがな、その若い衆の打った蕎麦と、麺ロボットで出来た蕎麦とじゃ、歴然と若い衆の打った蕎麥の方が旨めぇ。
つまり、蕎麦は圧力でプレスするんじゃなく、旨い蕎麦になってくれって気持ちでな、ソバ粉とつなぎ粉と水を「なじませ」ながら「練り鉢」の曲面を上手に使って打つんで。
ましてや、
「つなぎ粉なし、更科粉だけを10トンの圧力で10秒で作る『自家製粉』蕎
麦」
なんて、恥ずかし気もなく看板やのぼりを堂々とかかげる蕎麦屋をみるとなぁ。
大手食材メーカーから濃縮の「蕎麦つゆ」さえも業務用に販売される時代だぁな。
そういう麺ロボットの蕎麦に、業務用蕎麦つゆで蕎麦を出す蕎麦屋なら、誰でも簡単に店は出せる。 何年持つかはべつだがな。
そんな蕎麦屋のスタッフはな、節の見分けもつかんしな、カエシってナニってな始末だ。
他方、毎朝毎夕、額から汗を流し「旨くなれよ」と念じながらソバ粉とつなぎ粉をなじませるように打たれる「蕎麦」と、毎朝ダシを取りつくられる「蕎麥つゆ」とを頑なに続ける蕎麦屋もある。
小樽蕎麦商組合傘下の38軒は、大半がこういう真面目な蕎麦屋なんでぇ。
だから、おめぇ見たい若いもんでも、通い食べればわかってくる。
ま、 通わんとな!
勘違いすんな! 別に気取って言っているじゃないんでぇ。
弊店は、たかだか四十数年の歴史しかない。
蕎麦は「二八(ソバ粉8:小麦粉2」で、「手打ち」・「機械切り」の蕎麦屋でぇ。
いずれ、手打ち・手切りの「蕎麦」に移行したいと考えている。
が、それだと今の蕎麦打ちスタッフ体制だと、もう2〜3人蕎麦打ち専用スタッフがいる。
スタッフを補充しないでそれをやると、メニューは大幅に減らさにゃならん。
となると、スタッフを抱えて営業できる売上がキープできるかって話に行き着く。
くやしいがな、いまだその体制は取れてはいない。
ソバ粉は北海道産。
主に旭川・北竜、そして後志・蘭越など各地の道内産ソバ粉で打つ「地物蕎麦」と、 国産と外国産(主に北米)のブレンドのソバ粉で打たれる「並粉蕎麥」 の二種類で提供させてもらってる。
当然、並粉蕎麦はその特性から色的には白っぽい部類になるし、地物蕎麦は茶色だわ。
ダシは鰹節・鯖節など四〜五種類でとっている。
辛口のそばツユで、中高年の女性のお客様にはしばしば「辛い」と怒られないわけではない。
が、 ここが踏ん張りどころでな。
「今日は俺の体調が悪いのか、お前の取ったダシが根性入ってネェのか?」
と、弊店の「蕎麦つゆ」を体調のバロメーターにされる永年のお客さんがいるんでぇ。
そんなお客さんが来てくれるかぎり、サラサラ変えるつもりはない。
だしが利いていて、利いているのがわかちゃいけない。
醤油が入っていて、入っているのがわかっちゃいけない。
鰹節・醤油・砂糖・味琳が渾然一体となってまとまって、
どの味もとんがらない。
それが蕎麥つゆだ。
ってな、先代は言ってた。
なんの変哲もない蕎麦屋だぁな。
ピアスをし茶髪にしたいのを我慢して頑張るパスタッフがいる、
どん欲に色々チャレンジする元気のある男女正スタッフがいる、
サラリーマンさんと同じ土日祭日に遊びたい、デートしたいのにな。
蕎麦屋も含め飲食業は人様が遊ぶ時が戦争だからな。
父の代からまだまだ若いモンには任せられんと頑張るオバサンがいる、そんな老壮青が互いに頑張るスタッフだけは自慢だぁな。
ただ、「あずましく」という言葉を蕎麦屋として実践したいだけでなんでぇ。
ちょいと小腹のすいた時、
ちょいと一杯引っかけて、
そしてセイロでしめる、
そんなさりげなさのところが蕎麦屋の骨頂であり、至福だ。
という、お客様に親しまれる店にと、思い込もうとしている蕎麦屋なんでぇ。
最近はなぁ、「高級割烹指向」や蕎麦屋酒の上っ面だけをコピーした「蕎麦屋風・居酒屋」 が とみに増える傾向だぁが、どうも鼻白らんでしまうし、なんかはずかしくなる。
こういう店にかぎって、大袈裟なウンチクを書いたもんを、さあ読めって張ってある。
「蕎麦屋には大いなる誤解がつきまとっている」とは、常連の星野恵介氏の感想だが、当たっているのだろう。
・ ・・ そう、最近ほっと安らいだのはいつだろうか?
会社と家庭以外で自分の時間を実感したのはいつだろうか?
頑張らない、背伸びしない、等身大の自分に還れたのは、いつだったか?
そんな居場所を、日常の中に持っていただろうか?
外はまだすこし明るく、ほの暗い店内で、 大人達がてんでに手酌し、歳を重ねるのも悪くはない、人生まんざら捨てたもんじゃないと、ときの間の憩いを紡いでいる、普段の空気が紫煙のようにスローモーションでゆったりと対流する、午後の熾烈な仕事や戦いの前の、つかの間の、
「大人達の憩いの空間」
そんな蕎麦屋でありたいと想いこもうとしているんでぇ。
蕎麦屋の数だけ、蕎麦屋の理想とこだわりがある、
「・・でなくてなならない」、
「・・であるべきだ」
などという蘊蓄かぶれの批評に立ち入らせることなく、臆することなく、
「たかが蕎麥屋、されど蕎麦屋」
で行くんでぇ。 」
・・・語りすぎて、息が切れ、女将が出したお茶を飲む。
今だ、とばかり若いお馴染みさんは、席をたつ。
「 おぉ、帰るか! じゃあな、仕事さぼんなよ! 」
「 おぉぉ、女将、見なよ、一生懸命走って会社に行くわぁ、いい若者んだぁな。 ン? ナニ、彼女とデート?
俺が引き止めすぎたってかぁ、ちげぇねぇ!」
「 じゃ、暖簾入れっか! カンバンだぁ!
・・・この項、完!
PS:ちょっと書きすぎましたわ・・・ 次回はもう少し短くせんと(^^)